足跡(寺社)90・大鳥神社庚申塔と蛸薬師成就院……2019.6.14

見かけてはいたが、それまで立ち寄らなかった場所を訪問してみた2019年6月14日のこと……

上目黒天祖神社から「めぐろ歴史資料館」に立ち寄り、多数の道標を拝見した後、大鳥神社に立ち寄った。本社に詣でたことはあったが、本殿左脇のこちら、大鳥神社末社である「目黒稲荷神社」は初めてだった。(今日は歴史資料館の道標は未掲載)
 ちなみに、目黒稲荷の御祭神と御神徳は……
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」福徳円満、商売繁盛、諸病平癒、農業諸産業の神
素戔嗚尊(すさのおのみこと)」災難、疫病避けの神
「火産巣火神(ほむすびのかみ)」日の幸いを恵み、悪火を鎮め、諸厄諸病を祓い覗く、火防開運の神
「水速女命(みつはのめのみこと)」祈雨、上雨、子授け、安産、水の神
……とにかくなんでもOKのようだ。

目黒稲荷参道の左側に石碑・石塔が並んでいる。左から3番目と右奥3基が庚申塔(目黒区下目黒3-1-2)……造立年が一番古いのは、左から3番目の小さなもので、延宝3年(1675年)。

笠付きの立派な特大庚申塔は、三猿の上に剣や弓などで完全武装した六臂青面金剛がお立ちで、元禄元年(1688年)の造立。今までに出会ったなかでは一番大きいかもしれない。
 左の石碑は、真ん中の文字が読めずに良く分からない。「神〇冢」から想像するに神楽塚なのかしら。酉の市には連れ合いが出向くから、聞いてきてもらおう。ずいぶん先の話だが。(今年は三の酉まであるようだ。11月5日・17日と29日)

「松雲羅漢像」……大鳥神社から山手通りを歩くと、五百羅漢寺への道の入り口に座っておられる。彫刻家佐山道夫氏による羅漢寺を開基した松雲禅師の像だが、とても姿勢がいい。私には真似ができない。

五百羅漢寺前を道なりに進むと正面に……

お地蔵さんの姿が見える。存在は知っていたが、なぜか寄らなかったお寺。

「ありがたや 福をすいよせる たこ薬師」の大きな看板……ここから訪問しても良かったが……

成就院」山門から……(目黒区下目黒3-11-11)

山門から境内……天台宗の寺院で、別名・蛸(多幸)薬師。

山門を入ってすぐ右に、防災の神様である秋葉講の石碑がある。
 徳川家光が当山を再興された折、江戸の火防の為にと、徳川発祥の地にゆかりのある遠州秋葉大権現を勧請して併祀されたとあった。羽田、 大森、目黒などに多数の講社があったようで、集団で秋葉山に参拝された証だ。

「本堂」前……天安2年(858年)慈覚大師の開山。本尊は大師の自作と伝えられる3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像。蛸薬師と呼ばれる所以だ。疫病除けの仏としてあがめられているとのこと。
 なぜ薬師如来が蛸に乗っているのか?……若いときから眼病を患っていた慈覚大師は、40歳のときに自ら薬師小像を刻み、入唐の時も肌身につけて行かれたのだが、帰りの海路で波風が荒れたため、その持仏を海神に献じて危急をのがれ、無事に帰り着くことができた。その後、大師が諸国巡化(じゅんか)のみぎり、肥前松浦に行くと、海上に光明を放ち、先に海神に捧げた薬師像が蛸に乗って浮かんでいたそうな。開山するにあたり、松浦にて拝み奉(たてまつ)った尊容をそのままに模して彫られたとのこと。(慈覚大師円仁=第三世天台座主

お線香供えてきた。提灯には葵の御紋。

本堂扁額は不老山と読むのだろうか?

本堂前に建っていた。火の色だし、秋葉様を勧請してあるのかと思ったが、たくさんの達磨が収まっていたから「達磨堂」かもしれない。

コロナが始まる前だったから、手水舎には柄杓も置かれていた。

本堂前から道路側……コンパクトなお寺だ。

本堂の左側に並ぶ地蔵尊は「お静地蔵尊」と呼ばれると。

『この石仏像は、徳川二代将軍秀忠公の側室 お静の方の発願で奉納されたものです。お静は江戸城大奥にあがり将軍の寵愛を受け「お腹さま」となることを願い、三体の観音像を納め奉り、その素願いかない慶長16年(1611年)に男子「幸松麿」が授かります。その後、秀忠公正室、浅井崇源院の威勢を畏れながらもその恙(つつが)ないご成育を祈り三体の地蔵を刻み納められます。そして再び願いが叶い、また家康公の側室見性院殿(武田信玄公の娘)の庇護もあり、保科正光公の養子となり、元服後、保科正之公となります……』と石板に刻まれていた。真ん中は、保科正之が大名になった折に大願成就として奉納した阿弥陀如来像。

右から「准胝観音(じゅんていかんのん)」「聖観音」「十一面観音」

右から「金剛宝地蔵」「金剛幡地蔵」「金剛願地蔵」……たぶん

お静地蔵の向かい、道路を背にして石仏・石塔……中央に地蔵尊と、その左に庚申塔

南無阿弥陀仏と彫られた台座の上に「橋和屋地蔵」……目黒不動門前にあった料亭橋和屋の主が、若くして他界した愛娘を偲んで天保10年(1839年)に建立したらしい。

合掌型六臂の青面金剛と三猿が彫られた庚申塔。元禄9年(1696年)と読める。赤穂浪士の討ち入りより早い。

聖観音であろうが、かなり古そうだ。これ以上崩れませんように……

目黒不動商店街をちょっとだけ歩き、次なるお寺に向かった。

今日の「My First JUGEM」は……『椿の観察……』