足跡(寺社)84・庚申塔を見ながら「西照寺」……2019.5.26

数日前の散歩で見損なった駒場地蔵尊を目指しながら歩いた2019年5月26日のこと……

寿福寺の参道入り口から野沢通りをちょっと進むと角に見えてくる。

「宿山の庚申塔」(目黒区上目黒5-5)……「あるな~」と車からは幾度も見かけていたから徒歩で訪ねた。
 一番左は、青面金剛の下に二鶏と三猿を従えている宝永5年(1708年)造立のオーソドックスな庚申塔だが、注目すべきは中央の背の高い塔。延宝3年(1675年)造立で、地蔵尊が彫られている。地蔵菩薩を本尊とする庚申塔は珍しい。
 一番右は年代不詳だが、隣の角柱にも注目したい。

角柱型だが、正面であろう青面金剛が横に向いて置かれているのには訳があるのだろうか。おまけに、3面に三猿が一匹ずつ掘られているのも珍しい。元禄5年(1692年)造立だが、角柱のてっぺんから笠が落ちてしまったようだとわかる。
 雨ざらしは可哀だし、区は保存のために屋根を造ってくれてもいいのにと思った私。

離れた所に置かれていたが、おそらくこれが笠だろう。

庚申塔の場所に『西照寺⇒』の看板があったので脇道へ……この道をクネクネ辿っていくと目黒川に架かる「宿山橋」にたどり着く。かつて宿山と呼ばれていた地域であることがわかる。

進行方向右手に南の蛇崩川に向かって下っていく坂道。正面に唐ヶ崎電波塔も見えた。

20軒ほどが点在する小さな商店街「六三商栄会」を歩くと、ありがたいことに電信柱に西照寺右の表示があった。

右に曲がったら予想通り下りの階段……

眺めは良いが、戻ってくることを考えると少し躊躇したが下ってみたら……

「西照寺」(目黒区上目黒3-44-6)……住宅地の真ん中で、道幅が狭いのでこれが限界。

左側にあったのは「崇敬殿」というのかもしれない。

福井県吉崎で開基、明治初期に東上し真宗三門派本山専照寺の東京宗務出張所・関東教務所となり、昭和26年(1951年)真宗大谷派「西照寺」となり現在に至っているようだ。立ち入りがたかったが、本堂前まで進んで南無阿弥陀仏と唱えた。

本堂扁額の「護法山」が山号だろう。

眼が良いな~と思ったので龍の彫り物を撮らせてもらった。

西照寺門前から階段を引き返し……

野沢通りを歩くと東山1丁目で二俣道……右の野沢通りは切り通しだから、たぶん旧道と思われる左を歩いてみた。

かつては区内で唯一番号じゃなかった「東山中学校」……現在は第2~第6が統合されて12校が9校になり、それぞれ「目黒中央中学校(旧第2・第5・第6を統合)」「大鳥中学校(旧第3・第4を統合)」の名称になっている。蛇足ながら「第7と第9」「第8と第11」が統合されて数年後に新設中学校となるらしい。そうなると、残るナンバースクールは第1と第10だけになるのか……

東山中学校脇の目黒川に向かう下り坂の途中で……

歩道に発見……

数々の軍事施設がもうけられたエリアだが、この辺の傾斜地を利用した急坂路訓練は過酷だったと伝えられる。大砲を6頭立てや8頭立ての馬にひかせ、駆け上がり、駆け下りの繰り返し。最悪は、馬が故障したという想定で兵隊たちが引き上げる訓練もやったらしい。非常事態を想定することは大切だが、戦争をやめることを考えた方が良かったのに。

でもって「東山の馬頭観音」が祀られている。
「苫良号」「福宮号」2頭の軍馬が祭られているとのこと。ニンジンではなくジュースだった。

坂を下ってもうすぐ山手通り……しかし暑い日だった。

今日の「My First JUGEM」は……『枯れてしまったハイビスカス……』