足跡(寺社)83・庚申塔を見ながら「寿福寺」……2019.5.26

同月8日に駒場公園の旧前田邸に行ったのだが、独り反省会で途中の駒場地蔵尊を見損なったことを知ったので改めて出かけた2019年5月26日のこと。同じコースでは面白くないと、まったく別ルートで3ヶ寺社に立ち寄ったが、5月だというのに暑い日だった。

存在は知っていたけど、なぜか撮ったことがなかったので……(目黒区中央町2-38あたり)

小さなお堂……こぶとり庚申と呼ばれるようだ。

青面金剛には見えないが、造立年は元禄3年(1690年)とあった。

守屋図書館で守屋善兵衛氏の胸像を眺めて裏へ回ると、区指定有形文化財の「五本木庚申塔群」(目黒区五本木2-20あたり)……入り口手すりの右脇に「南無阿弥陀佛」と彫らえた笠付の念佛塔が建っている。元禄2年(1689年)の造立。

庚申塔4基と地蔵尊1基が奇麗に並んでいる。左から4基は青面金剛、三猿や太陽と月などが描かれているので庚申塔と分かる。いずれも1700年前後の造立みたいだ。
 右端は地蔵菩薩と見たが、上部に雲と日月が描かれているので庚申塔の可能性も考えられる。他所から集められたのかと思いきや、最初に建てた場所から移されることなく今に伝わっているという。前の路は古道の鎌倉道との説もあり、五本木村の庚申塔を建てるにはふさわしい場所であったのだろう。

祐天寺方面に歩くと昭和通り商交会の路にお堂がある……(目黒区祐天寺2-15 あたり)

姿は不鮮明ながら地蔵尊だろう。文字も判読困難で造立年などは不明だ。ちなみに、この場所から右250mほどに「さわら庚申」がある。

五本木の住宅街を歩いて蛇崩川緑道の「蛇崩橋」を通過。

野沢通りを山手通り方面に歩くと……

左手に「寿福寺」参道入り口……この参道、私は好きだ。

木漏れ日が眩しく、とにかく暑い日だった。

山門前左右に地蔵尊庚申塔が建っている。(目黒区上目黒5-16-6)

右側は「相生地蔵」と呼ばれる2軀(たい)の「延命地蔵尊」……立像が明和2年(1765年)で、坐像は宝暦9年(1759年)のようだ。

山門左側には、六臂の青面金剛だけが彫られた寛文6年(1666年)造立の庚申塔。立派な舟形光背を持つが日月や邪鬼、三猿などはいずれも見当たらない。ちなみに、本堂には寛文3年(1663年)鎌倉の仏師・法橋三橋靱負と弟子伝之丞によって刻された青面金剛木造が安置されているとのこと。
 右隣の、台座に南無阿弥陀佛と彫られている天保5年(1834年)造立の坐像は大日如来だろうか……

新緑の境内は気持ちが良かった。
 天台宗寺院「新清山観明院壽福寺」は元和元年(1615年)、大阿闍梨鳳算大和尚によって現在地に創建されたと伝えられるが、室町時代末期の頃にはすでに草庵が結ばれていたと推察されるそうだ。室町末期とは1500年ぐらいだろうか。

山門をくぐってすぐ左の石仏群……三界萬霊塔なのだろう。

お立ちなのは「観音菩薩」だろう。
 本当は如来なんだけど「姿を変えてみなさんを救いに来た」と分かるように、宝冠に本地如来の小さな像「化仏(けぶつ)」を付けている。
 しかし、これほど泣き顔の菩薩様とお会いしたことはない。救いきれない世の中を嘆いておられるのやもしれない。

りっぱな藤棚があったが、当日は少し遅かった。メモしておいて時期になったら行ってみよう。

現在の本堂は昭和50年(1975年)に建て替えられたもので、それ以前は明治13年1880年)に行人坂の明王院念仏堂を移築したとものだったと。そっと覗いてみたのだが、安置されている本尊の阿弥陀如来や木彫彩色の青面金剛立像はよく見えなかった。  当然だが、行人坂の明王院は明治の初めに廃寺となった。

本堂には、現在も由緒ある「念佛堂」の扁額が掲げられている。

本堂左わきには竹林……

右側は寺務所・庫裏……コンパクトではあるが、よく考えられ、手入れも行き届いた気持ちの良い境内だった。

山門に向かって……お線香は事務所で求めなければならないようだったのでパスしてしまった。南無阿弥陀仏……

今日の「My First JUGEM」は……『促進剤を使わないシクラメン……』