大鳥神社境内の庚申塔

目黒区の『庚申塔めぐりガイド』に記載されている庚申塔……2019年6月14日訪問時の写真

f:id:kazenosanpo:20211007214639j:plain大鳥神社」(目黒区下目黒3-1-2)の境内、社殿に向かって左側の奥に8基の石塔が並んでいるが、その中の4基が庚申塔です。目黒村のどこかにあったものが集められたのでしょう。
ちなみに、「目黒のお酉さん」と呼ばれ親しまれている大鳥神社ですが、古くは鳥明神(とりみょうじん)と称し、日本武尊主祭神とする区内最古の神社。景行天皇の御代(71~130年)に、すでに当所に国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀った社やしろがあり、大同元年(806年)には社殿が造営されたとのことです。ちなみに、今年の酉の市は11月9日と21日のようです。「二の酉」までですね~ 感染予防をしてお出かけくださいませ。
おっと、「庚申塔」ですが、注連縄のある真ん中の石碑の左に1基と、右に3基です。

f:id:kazenosanpo:20211007214656j:plain注連縄石左にある小さな庚申塔は、文字と三猿だけ。但し、ここにある庚申塔のなかで造立年は一番古く、延宝3年(1675年) 徳川家綱の時代。

f:id:kazenosanpo:20211007214713j:plain注連縄石の右隣は、唐破風笠付角柱型で一番大きい。青面金剛のご尊顔が崩れているのは悲しい。元禄元年(1688年)  徳川綱吉の時代。

f:id:kazenosanpo:20211007214731j:plain奥の2基だけど、左の駒型は宝永元年(1704年)
右の唐破風笠付角柱型は元禄元年(1688年) 両方とも徳川綱吉の時代の造立でが、江戸前期にこれほど立派な庚申塔を作れたということは、目黒村の民は潤っていたのかしら……
ところで、天下の悪法と揶揄された「生類憐れみの令」を発出した綱吉だが、「捨て子禁止」や「病人の保護」といった弱者保護を目的とした福祉政策を行っていたということだ。捨て子の多い時代だったのだろうが、現代は捨てるのではなく子を死なせる虐待が横行する時代。政府には、よく民の声を聞き、痒い所に手が届く福祉政策を執り行って欲しい。

【おまけ】大鳥神社庚申塔を見た日、同じ町内だったから寄りました。

f:id:kazenosanpo:20211015142141j:plain成就院(じょうじゅいん)通称:蛸薬師」……天台宗寺院 (下目黒3-11-11)
天安2年(858年)慈覚大師の開山で、本尊は大師の自作と伝えられる3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像……蛸薬師と呼ばれる所以です。疫病除けの仏としてあがめられているようです。
なぜ薬師如来が蛸に乗っているのか?……大師様40歳のとき、肌身離さず所持していた自ら刻んだ薬師小像を荒れた海上から投げ入れ、危急をのがれた。その後、大師様が諸国巡化(じゅんか)のみぎり、肥前松浦の海上に光明を放ち、先に海神に捧げた薬師像が蛸にのって浮かんでいたそうな。開山するにあたり、松浦にて拝み奉(たてまつ)った尊容をそのままに模して彫られたとのことです。

f:id:kazenosanpo:20211015142208j:plain山門脇の道路側に地蔵尊などと一緒に、庚申塔が1基(左)……

f:id:kazenosanpo:20211015142228j:plain笠付の立派な庚申塔で、やはり徳川綱吉の時代、元禄9年(1696年)の造立でした。野ざらし状態なのに、しっかり年号が読めるのはスゴイ!!
と言うことで、これでおしまい。

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