等々力の満願寺を目的で出かけた2020年1月9日のこと……
「金剛寺山門」(世田谷区中町2-20-11)……正式名称は「東陽山薬王院金剛寺」 本当に天祖神社の近くだった。
山門左側の石柱には「野良田村」の文字……世田谷吉良家が亡びる300年前の弘安7年(1284年)聖空上人が薬師如来を勧請し一宇を建立したのが始まりとされる。吉良家の重臣であった粕谷一族が移り住んで帰農し、慶長年間(1596年~1615年)に菩提寺として建立したようだ。野良田の村名がここに生きていた。
山門右側には、北向薬師如来を謳う立派な石碑……「坂東七薬師」の一として信仰を集めたことだろう。
山門をくぐると正面に本堂だが……
左側に小道が造られており……
不動明王や観世音菩薩の石塔があり、お地蔵さんは「よみがえり地蔵」とある。地蔵尊は天明元年(1781年)の造立で、3基の石塔は、左から宝暦4年(1754年)・明和2年(1765年)・宝暦10年(1760年)となっていた。
奥に進むと狛犬が鎮座していた。明治の神仏分離令で分社した天祖神社の名残と推察するが、石段を上ると……
中央の石柱には「地神尊鎮座」と彫られている。定かではないが、天祖神社に祀られていたであろう地主神・大山咋命を受け継いだと考えられる。これまたあてずっぽうだが、手前の左右の石に彫られているのは「山犬・狼」かもしれない。
本堂と客殿は昭和35年(1960年)、薬師堂と山門は昭和41年(1966年)に建てかえたようだ。
桜の季節には、さぞ美しいだろうと思いながら今年も行かれなかった。
玉川八十八ヶ所霊場・第三十五番札所の札から真言宗寺院とわかるが、同寺は智山派。本尊は大日如来で、寺宝には「絹本愛染明王像(天文16年・1547年)」「鰐口(元禄11年・1698年)」「金襴七条袈裟(正徳2年・1712年)」などがあるようだ。
本堂右前に、弘法大師修行像……南無大師遍照金剛
本堂右奥に少しだけ進むと……
墓石の中央に観世音菩薩……建立した粕谷一族が眠っておいでなのだろう。他の墓所とは独立しているようだった。
本堂前から山門……
宝篋印塔と水子地蔵……後方に薬師堂
「薬師堂」……眼病・安産に効験があるそうで、秘佛北向薬師如来は日光・月光両菩薩の脇侍と、十二神将の眷族(けんぞく)を従えているそうだが、良く拝見できなかった。ぶらり訪問者には無理なことだ。「北向」ということで、お堂も北を向いて建てられている。
戦没英霊供養塔……とにかく戦争がなくなりますように。
山門近くに六地蔵……六地蔵と書いたが8体おられる。一番左の三鈷を持った坐像は弘法大師さまかもしれない。年代も異なりいずれも不揃いだが、それが時代の奥行きを感じさせる。
きれいな整列姿だった。
今日の「My First JUGEM」は……『リベンジした子持ちヤリイカ……』