足跡(寺社)35・高野山東京別院……2018.12.15

歯医者帰りに泉岳寺の山門を出た時「そうだ、あのへんにお寺あったな~」と言うことで向かってみることにした2018年12月15日のこと……

未知の住宅街から表通りにでると、ちょうど良い場所だった。この日のヤマ勘ナビは限りなく正確だった。横切っている通りは「桂坂」……左へ下って行くと坂下方に「柴田錬三郎旧居」があって、その先に高輪ゲートウェイ駅(当時はなかったが)。後に桂坂は往復した。

裏口入山して境内に入ると右手に「鐘楼」……

本堂「遍照殿(へんしょうでん)」……弘法大師法号「遍照金剛」に由来する。延宝元年(1673年)に「高野山江戸在番所高野寺」として建立され、明治に入って在番所の廃止に伴い、昭和2年(1927年)「高野山東京別院」と改称された高野山真言宗 総本山金剛峯寺の別院。

残念ながら扉はしっかり閉じられていた。豪華な遍照殿にようやく立ち入ることが出来たのは去年の5月のことだった。南無大師遍照金剛

本堂右側に「観音像」……ライトアップされたお姿を拝見してみたい。

観音像の後方に「一願大師」……広島に空海弘法大師)が開いた「大聖院」というお寺があり、そちらの「一願大師」がパワースポットらしい。一つだけ願を叶えてくれるそうだが、当時の日記によるとこの日は何も願わなかったみたい。今なら何を願おう。やはり世界平和か……

本堂前に、大日如来の成り代わった御姿とされる不動明王が祀られている「不動堂」……毎日 御祈祷がささげられていることでしょう。

不動堂のお隣に「明神社」……高野山を開くにあたり、弘法大師はまず明神社を祀ったとされる。高野山での諸行事はすべて明神社参拝から始まるとのこと。
 この別院にかつてあった明神社は、明治維新神仏分離令によって排されてしまったらしく、現在の神社は記念行事で再建したとのこと。「高野山の四社明神」の他に東京別院氏神社である「高輪神社の御祭神」も祀られている。

コロナ禍前だから柄杓あった。「……清浄な手いっぱいに仏様の教えを頂こう」とある。自帰依仏 当願衆生……仏に帰依し当に願わくは衆生と共に。

真新しく見える「六地蔵」……奉納されたようだ。「萬灯萬華大法会」の赤い幟には「祈 世界平和」の文字があったのね。

「永代供養墓」……圓融塔というらしい…

「幼霊供養尊」……幼き霊の供養…お地蔵さん

本堂を向く「弘法大師像」……現在は山門の外に反対側を向いてお立ちです。錫杖を持つ手は、常に浄手(右手)と決まっている。
 脇に百度石があるけど、本堂・遍照殿まではとても遠い。私は百往復できないかもしれない。

「涅槃之道場 讃岐国」と書かれている。涅槃(ねはん)とは梵語で吹き消すことを意味し、煩悩を消滅した悟りの境地を言うそうだ。讃岐・香川県の23ヶ寺を無事巡り終えることで結願となることから、こう呼ばれるのだと。

「発信の道場」……徳島県・阿波の霊場スペース。「第1番 霊山寺」から順に巡るにはここからスタート。当時は、写真のように山門を入ってすぐ右にかたまっていたが、現在は本堂までの参道に沿って一直線に並んでいる。

裏口から入山して山門から失礼した私。表通りは二本榎通り……

ちゃんとこちらから入りましょう……失礼しました。ちなみに「御府内八十八ヶ所霊場1番札所」「関東八十八ヶ所霊場特別霊場」「江戸三十三観音霊場29番霊場」でした。(港区高輪3-15-18)

遍照殿を見つめる弘法大師様の後ろ姿にさようなら……

今日の「My First JUGEM」は……『11月のセミ……』