足跡(寺社)27・瀬田玉川神社・慈眼寺・2018.11.20……

2018年11月20日……上野毛あたりから丸子川を上り、治太夫橋から慈眼寺坂下の身延山関東別院玉川寺に寄り道したのだが、引き返そうとした門前で思った。せっかくだから「旧大山道」の坂上まで行ってみようと……

慈眼寺坂の途中に「瀬田玉川神社」(世田谷区瀬田4-11-31)……結構きつい石段なので尻込みしたが、とりあえず行ってみた。

ようやく一之鳥居……あぁ~しんど~

安心するには早い。まだちょっと石段あった。

ブラタモリ風に言うなら「多摩川河岸段丘である国分寺崖線の丘の上」に鎮座しているのだからたくさん石段を上らないとならない。かつては多摩川や富士山もはっきり見渡せただろう。

ようやく社殿前、二之鳥居に到着……同社HPには『明治18年に役所に提出した旧社名「御嶽神社」の書類には、その由緒として、「戦国時代の永禄年中(1558~70)に、この村の下屋敷に勧請し、その後、寛永3年(1626年)瀧ヶ谷に長崎四郎右衛門嘉国が寄付をして遷宮した」とある。』ように、元来は「御嶽神社」だったが、明治41年(年)に現在の社号「玉川神社」に改号されたそうだ。

「拝殿」……ご祭神は「大己貴命」「日本式尊」「少彦名命」……例大祭は10月第3日曜日らしいから4日後だが歩いていくにはまだキツイ。

拝殿直前の狛犬はずいぶん古そうだ。(この頃はまだ奉納年など確認していない)

造営・改修はされているだろうが、趣と風格のある木造神楽殿……

乃木希典書……あちこちで目にする。この頃は「戦争がない世界になりますように」と願っていたが、また願いに出かけられることを願おう。

帰りの石段……とにかく危険。よくぞこの日はこけなかった。今は危ないかも。
 あがた森魚の歌電気ブラン』……
浅草六区に行くんだったら電気ブラン
 たった五十銭 神谷バー電気ブラン
 一口天国二杯で地獄 三杯呑んだらあの世往き…』
 飲んだらこんな所は歩かない。飲んでなくても転ぶようになってしまったから……
 今日、改めて地図を見たら、北に5分ほどの場所に倉稲魂命を祀る飛地境内末社「瘡守稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)」があった。5年前も、独り反省会で極々近くに真言宗豊山派寺院「大空閣寺」のあることを知りがっかりした。同じような場所は歩きたくないので、同寺を訪問したのは3年後(2021年)の9月になってしまった。

慈眼寺坂をもうちょっと上り、あっさりした山門だなと思いきや……

隣に立派な「慈眼寺山門」(世田谷区瀬田4-10-3)……山門というより仁王門の方が正しいのかもしれない。

徳治元年(1306年)法印定音(じょうおん)によって草創されたことに始まり、天文2年(1533年)郷士・長崎四郎左衛門 の信施を得て、法印栄音(えいおん)が現在地に堂宇を遷し大日如来を本尊として安置したとのこと。(同寺HPより)

真言宗智山派・玉川八十八ヶ所霊場37番……玉川神社の旧別当寺(隣だから当然か)

観音さまはいつも美しきお姿……南無大師遍照金剛

かつての楽天日記には「釈迦堂らしい」と書いたが、間違っているかもしれない。ちなみに、弘法大師像にはお目にかからなかった。

慈眼寺坂の寺社を見学して、すっかり寄り道をしてしまった私……治大夫橋までもどって丸子川にそって再スタート……

今日の「My First JUGEM」は……『雨宿り……』