足跡(寺社)124・延命寺と今泉北向き庚申塔……2020.1.14

大田区矢口から下丸子あたりの寺社を訪ねた2020年1月14日のこと……

花光院から3ブロックほど南側に「延命寺山門」……(大田区矢口2-26-17)

山門左の石碑には「聖徳太子作 火雷除子安地蔵尊」と刻まれている。

スッキリした境内……

本堂の左手が庫裏になるようだ。写真右手前には藤棚があり、季節にはきれいだろう。

本堂右側……左の建物には「明照殿」の扁額がかかっていたはずで、客殿と推察した。右の建物には多摩川七福神の幟があった。

そっと覗かせてもらったら中央に地蔵菩薩がおられた。説明書きがなかったので聖徳太子のお作かは不明だ。多摩川七福神の「寿老人」はすみっこに祀られていた。

浄土宗寺院「願海山延命寺」は、弘安年間(1278~1298年)に「蓮花寺」と号して創建されたが、延文年間(1356年~1361年)に落雷で焼失してしまう。100年持たなかったのだが、永禄年間(1558年~1570年)、雷火から逃れた延命地蔵を安置する寺を再興して延命寺と改称されたようだ。山門の石碑に刻まれた「聖徳太子作 火雷除子安地蔵尊」がそれなのかもしれない。ちなみに、御本尊は阿弥陀如来三尊とのこと。
 江戸時代に防火用水として、また飲用水や打ち水に活躍した雨水を貯める「天水桶(てんすいおけ)」も配されているが、再び火災にあいませんことを願う。南無阿弥陀仏……

藤棚の下に手水盤……塀の向こうが墓地

墓地入り口にそびえる(おそらく)無縁仏塔。ほとんどが墓石とうかがえる。大きさは異なるが幾多の寺院で見受ける。塔のように積み上げるのは、限られた敷地の中での苦肉の策に思える。

燈篭型六地蔵とでも呼ぶのだろうか……

みなさま良きお姿だった。

背の高いのは「戦病死忠霊」で、左の石には「兼斎上人之塚」と……

梅一輪……この年初めて目にしたようだ。

直径40~50cmの鉦(しょう・かね)を二枚組にした「双盤」を打ちながら念仏を唱える引声念仏(音楽的な調べに乗せて歌う形の念仏)を「双盤念仏」と呼ぶそうだ。400年ほど前の江戸時代に始まったと考えられている今泉延命寺の双盤念仏は、戦争などにより存続が危ぶまれたが昭和39年(1964年)に地域の人により鉦と太鼓が奉納されて活動が再開し現在に伝承されていると。
 延命寺の双盤念仏は知名度が高いようで、今年 増上寺で行われた法然上人の忌日法要では、延命寺の双盤念仏会が2日間の演奏を務めたようだ。

延命寺の程近くの角に……

小さな祠……

「今泉北向庚申塔」(大田区矢口 2-24)……確かに北を向いていた。

文化5年(1808年)12月の造立だが、表面の剥離が激しく、おそらく描かれているであろう三猿や邪鬼の図柄は確認できない。戦火による痛みなのかもしれないと考えつつ十寄神社に向かった……

今日の「My First JUGEM」は……『ハエ捕った……』