足跡(寺社)132・圓応寺……2020.1.25

直前の14日には訪問出来なかった寺社を求めて、またも大田区矢口あたりを歩いた2020年1月25日のこと……

矢口新田神社から十寄神社を経て矢口の渡しに向かう鎌倉街道を南下すると大きなマンション。施主施行は東急みたいだが、なんと総戸数は461もあるようだ。

古市中央児童公園……時計の針は13時45分。ここからまだ2時間以上フラフラしたが、当時はまだ根性あった。

旧矢口の渡しは目前……

レトロな商店の脇に「らしき」が見えたから、路地を入ると……

大和屋さんの稲荷らしい。後ろはお寺なので曲がってみたら……

本堂の裏側だった。お墓参りに来られる方は、車を置いてこちらから行かれるだろうが、いくら私でもこの裏口からは断念した。ちなみに、ひつじ雲がきれいだった。

引き返して酒屋の反対側……最初からこっちに来ればよかったと後悔したのだった。

「圓応寺山門」(大田区矢口3-21-15)……

まずは本堂に御挨拶……真言宗智山派の「播曜山(ばんようさん)恵門院(えもんいん)圓應寺(えんおうじ)」は玉川八十八ヶ所霊場第六十三番札所。

鎌倉街道沿いで、かつては近くの渡し舟のあたりには市場が立っていたそうで、旧地名は古市だった。(古市の名称は公園に残されていた。)詳細は不詳だが、鎌倉時代後期より、多摩川と岸辺に暮らす人々を見守り続けて600年のお寺とのこと。ご本尊は大悲胎蔵生大日如来

多摩川が見える。目の前を走っているのは大田区道主要第102号線というそうだ。向こう岸まで水色の多摩川大橋が架かっている。

墓地の入口にお立ちの弘法大師……お会いできると嬉しい私。南無大師遍照金剛

「息災延命六私蔵」の右隣の舟形は「地蔵菩薩」だろうか。手前は「庚申供養塔」だが、大田区教委が『総高138センチ。寛文12年(1672年)に、古市場村の人々が建てたものである。区内に現存する庚申供養塔の中で、青面金剛の像を彫った庚申供養塔としては最古のものである。板碑型の石碑に、青面金剛立像を中心に、日月や鶏、三猿が刻まれ、江戸初期の典型的な様式である。銘文は、寛文十二年を「寛文二六年壬子(みずのえね)と積算表示したり、また「六郷荘」という中世的な表記や「古市之跡泥沙…」と刻まれていることも注目されるが、風化のため判読不能の部分が多いのは残念である。もとは矢口三丁目の旧道沿いに建てられていたが、後に現在地に移設された。』の説明書きを掲げてくれていた。

胎蔵生 大日如来……

宝篋印塔は新しそうだった。

「十三佛参り」……13の石仏が並んでいた。

(左から) [阿弥陀如来] [阿閦如来(あしゅくにょらい)] [金剛界 大日如来] [虚空蔵菩薩]

(左から) [地蔵菩薩] [弥勒菩薩] [薬師如来] [観音菩薩] [勢至菩薩]

(左から) [不動明王] [釈迦如来] [文殊菩薩] [普賢菩薩]……普賢菩薩は知恵を受け持つ文殊菩薩と一緒に釈迦如来の脇侍として配されることが多い。明王も守護神だから脇におられた。
 本当はお線香を置いてお参りするのだろうが、お賽銭だけでご容赦賜った。小さい梵鐘(喚鐘と呼ぶのかもしれない)があったから、つけば良かったかもしれない。

十三佛参りを済ませ、本堂をふり返り失礼した私だった。

今日の「My First JUGEM」は……『頭が回らない……』