足跡(寺社)166・蜜蔵院(前編)……2020.3.24

桜坂の桜を見てこようと出かけた2020年3月24日のこと……

中原街道をくぐるトンネルを抜けると……

六郷用水の跡……写真は省略するが「東京の名湧水57選」の札が立っていた。ちなみに、撮影時刻が11時13分ということは、モーニング抜きで出てきたようだ。

旧六郷用水沿いの桜並木を歩いた。当時の日記を振り返ると、この年の桜は長持ちしたようだ。

六郷用水跡をたどり、新幹線をくぐった所に……

好天のもと、ゆるやかな風が気持ち良かった。

「密蔵院」(大田区田園調布南24-18)……石段の正面が「本堂」で、左が「大慈閣」

真言宗智山派の「明楽山森立寺密蔵院」……慶長末期(1613年)頃に火災で本堂が焼失したが、当時の有力檀徒・森庄兵衛が中心となって再建したので、森が立てた寺であるとし、その時より寺号を森立寺と改めたとのこと。寺号碑は平成5年(1993年)6月造立。

「密蔵院本堂」……玉川八十八ヶ所霊場 第五十六番札所
『明治以降、歴代住職が寺院内外の整備をすすめ、昭和18年(1943年)に現本堂を完成。しかし昭和20年(1945年)戦火を受けて書院・庫裏を焼失し、寺宝や古文書の多くを失った。(同院HP)』とあったが本堂は焼けずに済んだのだろうか。弘法大師様のお力か……
 本尊は、寛永11年(1634年)に造立された大日如来尊像「木造寄木造り、玉眼、漆箔、像高26㎝」と、平成29年(2017年)に完成した「木彫寄木造り、像高180㎝」の平成大日如来尊像とが安置されていると。古いのは非公開らしい。

「本堂扁額」……「遍照」=あまねく世界を照らす法身の光明で厄を除けてくださるのでしょう。
 寛永7年(1630年)に弘法大師を信仰する人々によって作られ、宝暦7年(1757年)に再興(修復)された、木造(檜)彩色、玉眼(水晶)、像高42.6㎝の「弘法大師像(大田区重要文化財・非公開)」が安置されているが、造立・再興の日付けは、両方とも3月31日と記されているらしい。同日は、弘法大師の尊像を供養する真言宗の法会『御影供(みえく)』にあたるようだ。ちなみに毎月21日に行う法会を「月並御影供」、3月21日を「正御影供」と呼ぶそうだ。

本堂前から……山門前は多摩堤通りがかすめていく。

本堂右手の墓地方向に……

大きなお地蔵さんは近代的風車があるのでやっぱりあれかもしれない。
 右の鎮魂碑は、ニューギニア戦線の英霊碑らしい。池上の妙見堂にはチャンギー受難者慰霊碑があった。ずっと戦争反対を願ってきたが、コロナ退散も願いだした頃だった。

右の井戸の前方で数人の方がお弁当を食べておられたので、ウロウロせずこの角度で一枚撮ったが、三界無縁塔の右が私には重要だった。地蔵菩薩が彫られていたのでそうとは思わなかったのだが、寛文元年(1661年)に造立された大田区最古の「庚申供養塔」だったらしい。

歴代供養塔……当時は三十六世みたいです。

墓地のソメイヨシノも奇麗だった。

墓地の真ん中に不動堂……弘法大師御誕生1250年を記念して平成30年(2018年)3月28日に建立された。訪問時はまだ出来立てほやほやだった。

「桜不動三尊」の扁額……境内の古木枝垂れ桜の切り株を彫って不動三尊が作られたことが「桜」のいわれのようだ。

反射して見えない……
 不動明王真言
 のーまく
 さーまんだー
 ばーざらだん
 せんだー
 まーかろしゃーだー
 そわたや
 うんたらたー
 かんまん

中央に、密教における本尊・大日如来の化身とされる不動明王……

足元に脇侍の二童子を従えている。左が制吒迦(せいたか)童子・右が矜羯羅(こんがら)童子

今日の「My First JUGEM」は……『サクランボきた……』