足跡(寺社)139・遍照院 (光明山無量寺)……2020.1.25

大田区矢口から多摩川あたりの寺社を巡った2020年1月25日のこと……

安方神社を出て環八沿いのお隣へ……

堂々たる寺号碑(大田区多摩川1-5-14)……創建年代は不詳とされるが、文化文政年間(1804~1829年)には一寺として存在していたようす。安方神社と隣接しているので旧別当寺であろう。

「光明山遍照院無量寺」……真言宗智山派で「玉川八十八ヶ所霊場第64番札所」「東海観音三十三ヶ所霊場 第21番」ご本尊は阿弥陀如来のようだ。
 本堂には賽銭箱がなかったので脇の瑠璃光如来さまに多めに入れさせてもらった。

本堂扁額は「遍照」……南無大師遍照金剛
「照稔」とあるのは成田山新勝寺の橋本照稔貫主大導師様のことだろうか。中興二十一世貫主のようだが、間違っていたらごめんなさい。

本堂前に「薬師瑠璃光如来」……『お薬師さまは病ことごとく除き心身を安楽にしてくださる仏さまです。〈ご真言〉オン コロコロ センダリマトウギソワカ
 左手に持っておられるのは薬瓶でしょう。

本堂左奥に案内板があったので行ってみると……

本堂左側面に大田区文化財「供養塔群」……江戸時代に地元の小林村・安方村の村民が寄進造立したもので、古くから当寺境内にあったのだが環八通りの道路敷地となったために整備後に現地に移されたとのこと。境内が縮小されたということは、隣の安方神社も縮小されたはずだ。

中央部に三基の庚申供養塔と念仏供養塔、および廻国(かいこく)供養塔が置かれていた。

(左から①~④)
 ① 庚申塔 文化5年(1808年)
 ② 廻国供養塔 正徳4年(1714年)
 ③ 庚申塔 延宝8年(1680年)
 ④ 念仏供養塔 承応3年(1654年)
『…特に念仏供養塔は、阿弥陀如来像を陰刻した念仏供養塔としては区内最古のもので、中世板碑の遺風を伝えるものである…』と大田区教委の説明があった。
 なお、廻国供養とは法華経を書写して全国の六十六カ国の霊場に1部ずつ納経して満願結縁する巡礼行「六十六部廻国巡礼」を果たした証と推察するが、法華経真言密教寺院との関連を考えると、これらの庚申塔や供養塔は散らばっていたものを同寺に集めたのであろう。

梅はまだこんな状態だったが……

それでもかすかに春の薫り……

矢口渡駅前歩道橋……先の信号を渡るか迷ったが脚力強化……

環八羽田方向……左のクリーム色の壁が遍照院で、その先に安方神社。ずっとついて行けば穴守稲荷に行かれる。5㎞程だから、かつてなら充分歩けた。

田園調布方面……随分空いていた。ということで10ヶ所ほどの寺社を訪ねてこの日の散歩は終了。時刻は15時47分。悪い癖がついたものだが、留守番を中座して外出したこともあり矢口渡駅から電車で帰宅した。家の電気点けないとならなかったから。

今日の「My First JUGEM」は……『投票に行った昨日……』