足跡(寺社)164・萬福寺(前編)……2020.2.23

南馬込あたりの寺社をぶらぶらした2020年2月23日のこと……

磨墨塚に掲示された簡単な地図を頼りに、臼田坂上から脇道をウロウロすると住宅街の坂下に寺院らしきが見えた。

何とかたどり着けた…

萬福寺山門」(大田区南馬込1-49-1)……四脚門、切り妻造り、総欅造りの「山門」……昭和40年(1965年)の修復で一旦銅板に直された屋根は、平成29年(2017年)に茅に葺き替えられたとのこと。防火上には反しているようだが、古き良き時代の風景が蘇っている。
 山門扁額は「慈眼山」となっているから「慈眼門」と呼ぶのかもしれない。『慈眼山 勅賜永平卍海書』と書かれている。博容卍海(はくようまんかい)とは、文政4年(1821年)7月8日に示寂(じじゃく)された永平寺54世のこと。※ 示寂=徳をそなえた僧の死。

山門左側に「磨墨の像」……15時22分、陽が傾いて来ていたので綺麗に撮れなかった。

梶原影季の愛馬の像。創建800年を記念して建立されたとのことだが、昔々の馬込一帯は馬の放牧が盛んだったようだ。

慈眼門から本堂に至るまでにはもう一つ門がある。

右へも鐘楼と、その先の総受付「洗心閣」に向かう石段がある……

慈眼門をくぐってすぐ右に「閻魔堂」……

恐い顔だけど、気持ちは優しいらしい閻魔大王。脇侍の像は撮りずらかったのでありません。

「無量門」の扁額がかけられた中門……『無量とは、はかることができないほど多いことを意味します。出来る限り多くの方を寺に招き入れたいという意思のもと、名付けられました。また阿弥陀如来の発する光の一つに「無量光」というものがあります。無量光には、永久に無限の恵みをもたらすという意味があります。(同寺HPより)』
 平成10年(1998年)10月20日梶原景時公八百回忌記念事業の一環で建立。

無量門の手前に……石坂改修は昭和30年(1955年)のようだ。

改修や寄進の碑……

無量門から本堂の眺め……本堂手前の左右にさまざまあった。

「慈眼山無量院萬福寺本堂」……曹洞宗の寺院
 建久年間(1190~1199年)大井村丸山の地に密教寺院として創建。開基は梶原平三景時公と伝えられる。元応2年(1320年)に火災にあい、景時の墓所のある馬込へ移され再建された後、天文3年(1534年)鎌倉の禅僧明堂文竜が曹洞宗に改め中興し、現在の萬福寺へと続いているとのこと。

「本堂扁額」……創建時の本尊は梶原家相伝の阿弥陀如来三尊仏を本尊らしいが、現在の本尊は自然銅阿弥陀、観音、勢至、一光三尊のようだ。

梅は時期を過ぎていたが、風情はあった。梶原平三景時公のお墓や、その他の見過ごしもあったようだ。「機会があったら連れ合いと再訪しましょう」と当時の日記には書かれていた。いつになることやら……

本堂から振り返ると、左から「鐘楼門」・「摩尼輪(まにりん)堂」と、くぐってきた「無量門」……

燈籠の後方が「摩尼輪堂」……

堂の中にはぐるりと回すのが納められている……なんとも上手に表現できない。

足元には方角と干支が書かれていた。こちらは上部に守護神が積まれているが、鎌倉長谷寺には一切経を収めた「経蔵(輪蔵)」がある。書架を一回転させることで一切経をすべて読誦(どくじゅ)した功徳が得られるとされる。

北を護る「多聞天」……

こちらは安全祈願 の「厄除地蔵菩薩」だが、他に南方の「増田天」、東方の「持国天」西方の「広目天」が護っていた。

今日の「My First JUGEM」は……『道草しながら……』