足跡(寺社)99・冨士見地蔵尊から「長應寺」……2019.10.30

世の中に「コロナ」の言葉が登場する少し前のこと。義母にせがまれ、連れ合いと2泊3日で箱根に出かけた中日(2019年10月30日)のこと。朝はポエムのホットドックで済ませ、留守番をしながらも、午後になって晩酌のつまみを買出しに行くついでに少し歩いた。
 蛇足ながら、連れ合いは途中で珍しくPASMOを紛失したが、帰りに小田原駅で返してもらえたのだった。義母の気づかいをしていて、自分がおろそかになってしまったのだろう。

かむろ坂通りのこんな所を右に入って行き……

密集した住宅街を歩くと(品川区小山台1-26)……ちょうど前を行く人の左に……

個人所有・管理かもしれないが、品川区が消火器を設置しているのは立派。

云われはまったく分からないが……

台座に「冨士見地蔵尊」とあった。右脇に置かれたものが初代の地蔵尊かもしれない。

品川区小山台から小山の住宅街に入ると……

また個人宅の一角に屋根が見えた。

『孟宗筍(もうそうたけのこ)栽培記念碑』が鎮座している。(品川区小山1-5-14)
 荏原地区指定文化財・史跡第17号で、所有者はやはり個人らしい。
 品川区教委の説明書きによると、廻船問屋であった山路治郎兵衛(1738~1805年)という人は、鹿児島特産の孟宗竹を移入し、戸越村や周辺の村の農民に栽培を奨励して商品化に成功。農民に収入の道を開いた功労者だという。でもって、文化3年(1806年)に、治郎兵衛の子息・三郎兵衛が父の一周忌に際して歯骨を埋め、その上に建てた墓碑がおかれている。

門扉が閉まっていたので勝手には開けず、柵の上からパチリ……『櫓(ろ)も楫(かじ)も弥陀(みだ)にまかせて雪見哉(かな) 釈竹翁』と刻まれているのは、竹翁(ちくおう)と呼ばれた山路治郎兵衛の辞世の句とのこと。廻船問屋としてふんぞり返っておらず、自ら舟で出かけたことが伺える。

こんな細い路を歩き……

車が通らないさらに細いこんな路が私は好きだ。

右側は星薬科大学の飛び地でテニスコートが2面あったっけ……突き当りの左に……

「芳荷山長應寺」山門(品川区小山1-4-15)……四脚の立派な門がそびえていた。本堂、庫裏などは昭和20年の空襲で焼失したそうなので、焼け残った山門は貴重だ。修繕中なのだろう、山門はくぐれなかったので脇から失礼した。

屋根の端に乗っている、怖い顔で尻尾の付いた亀みたいなのは何と言ったか?

境内……

入母屋造(いりもやづくり)と言うのだろう本堂の屋根は姿が美しい。同寺は波乱万丈の運命をたどってきたようで、開山以来、他所での焼失や移転を繰り返したそうだ。大正時代に当地で完成した本堂も焼夷弾で焼けた。戦争はこりごりだ。南無妙法蓮華経

本堂扁額……「昭和52年吉日 総本山本成寺七十七世 荒井日幹」……法華宗陣門流の総本山・本成寺新潟県三条市にあるようだ。蛇足ながら「長応寺」の名称を持つ法華宗陣門流寺院は東京と北海道の二つ存在するらしい。

本堂左側に庫裏……

本堂正面に、向き合うように……

扁額に「土中出現出世不動尊」……昭和18年5月と記された扁額があるってことは、この不動尊も戦禍から守られたのだろう。

山門に向かって……

山門の扉に彫られた三つ葉葵……徳川家とご縁があったのだろう。

外壁越しに横目で本堂を眺めて失礼した。15時07分……日暮れはどんどん早くなる。

今日の「My First JUGEM」は……『V型エンジン……』