足跡(寺社)78・旧東海道品川宿あたりの寺社「本栄寺・蓮長寺」……2019.3.8

青物横丁から新馬場にかけての旧東海道あたりをブラブラした2019年3月8日のこと……

海心寺門前の南馬場商店会の反対側(北側)に位置する、犬にほえられて退散した天台宗寺院・本覚寺の隣に「本栄寺」山門があった。(品川区南品川1-10-17)
 同寺を含めて西の第一京浜まで、合計4ヵ寺が肩を寄せ合う。(写真の右に本覚寺で、左に蓮長寺・妙蓮寺と並ぶ)
 山門前左に南無妙法蓮華経の題目塔があるため、日蓮宗寺院だと分かってありがたい。ちなみに、この題目塔は以前は私の後方の通り沿いに置かれていたようだ。

山門扁額……山号は「宝光山」

本栄寺境内……天正2年(1574年)に日栄上人が創建し、慶長8年(1603年)に徳川家康が1000坪の寺領を寄進し本堂が建立されたと。
 当時この周辺は徳川家旗本の馬場跡地だったらしいが、幕府公用の旅人に対しては一日当り馬百匹を提供する義務を品川宿に課したから不要になったのだろう。(私の勝手な推測)

本堂前面の屋根は、随分変わった様相をしている。重たそうだが、改修時にかつてからの部分を残したのかもしれない。

有縁無縁(うえんむえん)之諸精霊……長い年付きの間に、継承者がおらず無縁墓となってしまったものは無数にあることだろう。

歴代住職のお墓……

開基日栄上人のお名前はあるが、なぜか三世はない……お寂しいことだろう。

山門を出る前に……墓地は本堂後方だろうが、こちらは永代供養墓だろうか?

十界曼荼羅」……金箔押らしきが美しかったので撮ってしまった。
 十界の諸仏・諸神を配置していることから十界曼荼羅と称されているが、中央に「南無妙法蓮華経」の題目があり、その下は日蓮大聖人の花押。法華経の世界観を図にしたもので、100幅余の直筆が現存するらしい。ちなみに、日蓮が最初に書いたのは文永8年(1271年)だったと。
 四隅に大きく配された四天王「大持国天王(右上)」「大広目天王(右下)」「大毘沙門天(左上)」「大増長天王(左下)」の他、「浄行菩薩」「弥勒菩薩」「文殊菩薩」や「鬼子母神」の名もあるが、注目したいのは題目最上部の両脇に「南無釈迦牟尼佛(左)」と「南無多宝如来(右)」が並んでいる。
 ある日、釈尊(釈迦)が説法をしていたところに巨大な宝塔が出現し「あなたの説く法はすばらしい」と称える声がした。声の主は多宝如来であり、塔の中の席を半分空けてお釈迦さまに譲り、これからは「あなたが法華経を説くときは宝塔を出現させて説法を讚嘆(さんたん)する」と誓った。要するにお釈迦様の応援団のようなものかもしれないが、日蓮宗では釈迦如来に次いで重視されている多宝如来。本堂で、宝塔(題目)の両脇に釈迦如来多宝如来を配した「一塔両尊」の安置形式をしばしば見受けることがある。
 蛇足ながら、題目下部に「八幡大菩薩」と「天照大神」の名があった。どちらも法華経には登場しない日本の神様だが、どうしてなのか分からない。気にはなるが今日は調べない。

本栄寺を後にするが、山門を出て表通りを右に20mほどで……

「蓮長寺」参道入り口……

「蓮長寺山門」……(品川区南品川1-10-18)

山門扁額に「実相山」とある。院号は「道陽院」で、本栄寺と同様に日蓮宗寺院。

山門から本堂……左側を京浜本線が走る。
 「毘沙門天」(伝・伝教大師作)及び「篁日蓮像」(眼病守護・説法像)を祀り、参詣者でにぎわった「別殿」があったとされるが、明治38年(1905年)京浜電鉄の開通にあたって取り壊されたらしい。現在は本堂に祀られているようだ。交通機関は人の暮らしを便利にしてくれたが、少しだけ寂しく思う。
 ワイドショーはほとんど見ないが、輪島の寺社はどうなのだろう。打撃を受けていることだろうが、やはり人々のために早期に再建されることを願う。

本堂の屋根をかすめるように京急の高架が走る。
 日蓮宗東京都南部宗務所によれば、暦応元年(1338年)の創立で、開基は恵朝房日保上人とのこと。
 お隣の本栄寺同様、本門寺12世仏乗院日惺の代(慶長年間1596年~1615年)に徳川家康より寺領を受けて拡張されたらしいが、京急に渡り、今度は縮小されてしまったということだ。南無阿弥陀仏……

萬霊供養塔……
附けたりだが『大井鈴が森にあった「鬼子母神堂」は、幕末に創建されて以来当山の管理であったが、昭和20年(1945年)8月15日以後「大経寺」として独立した。』とあった。

【附けたり】(2020年11月18日の写真)
 鈴森山大経寺(品川区南大井2-5-6)……鈴ヶ森刑場が開設された慶安4年(1651年)頃、無縁受刑者供養のために建立された堂宇「旭松庵(通称鈴ケ森鬼子母神堂)」は、刑場が廃止となる明治4年1871年)まで処刑者供養を担ってこられた。「大経寺」として独立させたのは、昭和17年(1942年)に蓮長寺42世慈洽院日完上人が開山してのことらしい。
 訪問した日は、門前に「山門不幸」の木札があった。合掌して南無妙法蓮華経と心で唱えた。

第一京浜の拡張等で旧態は留めていないが、刑場には題目塔もあった。南無妙法蓮華経
蓮長寺とは直線距離で3㎞離れている。管理するため、最低でも往復6㎞を歩いたことだろうが、お疲れさまでした。

蓮長寺をあとにしたが……

山門正面の路地が気になった……

路地の寿司屋さん……サッポロビールは好きだし、興味津々だったが15時20分は早過ぎると断念した。
 すぐ隣の「妙蓮寺」まで載せたかったが「十界曼荼羅」を勉強したので時間が足りなくなってしまった。情けない……

今日の「My First JUGEM」は……『久しぶりのステーキ……』