足跡(寺社)23・海徳寺・2018.10.26……

2018年10月は、7日に呑川に沿って池上本門寺まで歩いた後、21日には距離を伸ばして羽田沖まで歩いてみた。川沿い歩きを覚えたものだから、今度は目黒川を歩いてみようと思い、26日に出かけた。目黒川がどこで海に流れ込むか知らずについて行ったがだが、結果的に天王洲アイルなんて縁のない場所だった。当日もたくさんの写真を撮り、楽天ブログでは「運河を見に行こう」として載せたが、今は寺社をふり返っているので、それ以外は最低限にしておく。(寺社も最低限)

第一京浜の東海橋の上から東……天王洲アイルは近い。上部には京急新馬場駅。蛇足ながら、首都高・山手トンネルは、この辺りはこの川の下を走っているようだ。

川沿いを進むとなぜか呼んでいた。途中の「東海寺」も「本光寺」もパスしたのだが……

小さな冠木門が「どうぞ、お寄り下さい」と言っているような気がした。こちらは北参道になるのだろうが、なぜか表門を移築したようだ。ちなみに「冠木(かぶき)」とは、2本の門柱の上部を貫く横木のこと。屋根のないのもあるが、こちらは屋根付き。門柱に(品川区南品川1-2-10)のプレート。

「海徳寺本堂」……自覚山松陽院と号す日蓮宗の寺院。室町時代終盤の大永2年(1522年)鳥海和泉守(とりうみいずみのかみ)と言う人が、出家して自宅を寺としたそうだ。堂々たる本堂だが、江戸時代中期・寛延4年(1751年)の完成で、区内でも最古級の木造建築とのこと。

左が水子地蔵で、右は誠和地蔵みたい。中央は日蓮上人かもしれない。

題目が彫られた五百五十御遠忌報恩塔……日蓮聖人が入寂されたのは弘安5年(1282年)だから、天保3(1832年)に建てられたものだろう。
 知らずに寄ったので仕方ないが、境内には長谷川昴(はせがわこう)氏という著名な彫刻家の「天上天下唯我独尊の釈迦生誕像」と、「ホームラン地蔵」と呼ばれる14歳で亡くなった少年のお墓があるようだ。心臓病の少年に「ホームラン王」になると約束した王貞治選手は記録達成ごとに少年の墓に参ってきたと。

「軍艦千歳殉難者之碑」……明治39年1906年)品川沖に停泊していた軍艦・千歳に渡る乗組員を乗せた船が転覆し、83名が死亡。町人らによる遭難救助の甲斐なく亡くなった方々の遺体が、ここ海徳寺に安置・供養されたとのこと。13回忌(大正8年)に建てられたようだ。

軍艦千歳の物ではないかもしれないが、砲身も安置されていた。後に航空母艦に改造された千歳の艦名は「永遠・永久」を意味するらしいが、そんな艦など必要としない世界であって欲しい。

石碑がたくさんあった……まだまだ駆け出しだったから細かくは観察しなかった。

とても静かな寺院だった。南無妙法蓮華経

正しい山門から失礼した。……この位置から後方40~50m程に旧東海道が通っており、品川宿があった。当然、海も近かったということだ。
 この日、地図を眺めての独り反省会で、旧東海道に沿うように多数の寺院があることに気付いたが、品川宿の寺院を歩いたのはこの半年後だったようだ。

今日の「My First JUGEM」は……『秋の色……』