足跡(寺社)77・旧東海道品川宿あたりの寺社「御嶽稲荷神社・心海寺・本覚寺」……2019.3.8

青物横丁から新馬場にかけての旧東海道を中心に歩いた2019年3月8日のこと……

常行寺山門前の路を少し北に歩くと、私の好きな路地……突き当りは旧東海道

「御嶽稲荷神社」の表札……(品川区南品川2-12-11)

元は現在の品川区広町(東海道線の西側・五反田駅の北側で、現在はJR東日本東京総合車両センターや引き込み線になっている)にあった「三岳権現社」が、1601年に当地に移転したらしい。江戸時代に入り東海道宿駅伝馬制度が定められ、第一の宿駅となったタイミングで品川宿に移転したと勝手に考えている。
 残念ながら柵があって近づけないので、外から二礼二拍手一礼

門柱の表札は「御嶽稲荷神社」だったが、社殿扁額は「三岳神社」となっている。後に稲荷社を合祀したのだろう。表記されている「大山祇命(おおやまつみのかみ)」と「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」が祀られているようだ。

社殿左は神輿庫だろうか。左の石碑には「稲荷神社」と「御嶽神社」の名が刻まれていた。

御嶽稲荷神社を出ると「南馬場商店会」……商店会とはいうものの、店はあまりなさそうだった。
 蛇足ながら、現在の京急北品川駅から青物横丁を少し過ぎて鮫洲の手前あたりまでを南北に走る東海道品川宿だが、横切る目黒川の手前を「北品川宿」その先を「南品川宿」と呼ばれていた。その品川宿には、幕府公用の旅人に対して一日当り馬百匹、人足百人を無償で提供する義務があり、このあたりの南品川宿に従事する馬小屋があったことから「南馬場」(「ばば」ではなく「ばんば」)が地名となったようだ。

南馬場商店会を少し歩くと寺院……

木目が美しい「心海寺山門」(品川区南品川2−9−5)……最寄り駅は新馬場になる。

真宗大谷派で、山号を「普海山」と称す心海寺(しんかいじ)本堂……改築がいつか不明だが、木造で優しさ、暖かさが伝わってくる。こちらで合掌・南無阿弥陀仏
 当時訪問後に楽天ブログに書いた時は不明だったが、今日は次のようにあった同寺HPを見つけたので引用させていただく。
【正保四年(1647)の創建で、開基は本多九八郎忠峯である。
 本多九八郎忠峯は徳川家康の家臣で、三河国(愛知県)佐々木を領し、天正15年(1587)和泉国大阪府)境を領した。天正18年(1590)の小田原攻めに、家康に従って戦いに参加し、負傷して以来仏門に入って峯山と称した。出家後は品川の海辺に草庵を作っていたが、慶長五年(1600)本願寺十二世法主教如上人が家康の上野国群馬県)小山出陣にあたって陣中見舞いに下向した際、品川の草庵に立ち寄って峯山を化導した。】
※    化導=人々を教化して導くこと。

鐘楼は古いから、そのうちに改修されるかもしれない。
 ちなみに、慶長期の制作と推定される本尊「来迎形阿弥陀如来三尺像」は、東京指定有形文化財、品川区文化財に認定されているとのこと。

心海寺の北側、南馬場商店会の反対側の路地奥に見えてしまった。

恐る恐る近づいてみたら……

天台宗 本覚寺(ほんがくじ)」とあった。……(品川区南品川1-10-11)

照高山圓教院と号し、元亀3年(1572年)に創建されたらしい。昭和43年(1968年)に完成したとされる本堂は階段のある奥の建物だろう。
 門前に立った瞬間から、階段下の犬に吠えられ続けたので近づけなかったのでこちらで合掌一礼して失礼したが、区指定有形民俗文化財に指定されている高さ1.3mほどの大きな「石造庚申供養塔(寛文8年・1668年造立)」は拝見できなかった。
 ちなみに、正五九には「馬頭観音護摩供」が執り行われるらしいと今日知った。

今日の「My First JUGEM」は……『紅梅も咲き始めた……』