足跡(寺社)265・来福寺阿弥陀堂・白玉稲荷神社……2020.11.28

仙台坂のタブノキから、品川区の旧東海道辺りを南に向かってウロウロした2020年11月28日のこと……

鮫洲八幡神社から南南西に向かう住宅街の道……1ブロック左側に旧東海道が並行して走しる道。

進行方向に鮫浜公園……

道路を渡ろうと右を向いたら赤い幟……すぐ先は京急の高架
 反対方向に少し歩けば大田区の人工島「城南島」があり、京浜運河が横たわっている。旧東海道が海の脇だったことが良く分かる。

住宅の軒下を借りるように……

南無大師遍照金剛の幟(品川区東大井1-22)……こんな所でお目にかかれるとは思わなかった。

阿弥陀堂」の扁額……東大井3丁目にある「来福寺」の境外仏堂で旧地蔵堂らしい。

慈覚大師御作と彫られているように見えるが疑問を抱く私。慈覚大師円仁は、嘉祥7年(854年)に天台座主となり、貞観8年(866年)に天皇より日本で初めて「大師号」を賜った高僧とされるが、赤い幟は「南無大師遍照金剛」の真言宗。境外仏堂とする来福寺も真言宗寺院なのに、なぜ天台宗の大師御作の阿弥陀如来を祀っているのか。

おだやかなご尊顔……『苦しみを受けた者、仏法に帰依せよ。なぜなら苦しみを楽しみにかえることができるからである。仏陀
 右手は見えないが、垂らした左手の親指と人差し指をくっつけた形は「来迎印(らいごういん)」であることから阿弥陀如来と分かる。

脇に置かれていた。
 延命地蔵菩薩(経読地蔵)を本尊とする来福寺によるものだが、真言宗の「南無大師遍照金剛」と天台宗の「南無阿弥陀仏」が同居している。理由は不明のままだが深く考えないようにする。
 ちなみに直線距離で400mほど南西に位置する来福寺の開山は正暦元年(990年)と云われる。紫式部源氏物語を完成させる20年程前だった。

阿弥陀如来立像……当時日記を書いた時には、大井1-55の三ツ又にある地蔵堂へも行かなくちゃと呟いていたが未訪問のままだった。情けない。

東大井1丁目の阿弥陀堂を後にすると2丁目になる。普通に散歩をするならこんな路地ではなく旧東海道を歩くことだろうが私はこんな道が好きだ。

左前方で呼んでいた。右は品川区立鮫浜小学校だが、改修工事はとっくに終わっているだろう。

「白玉稲荷神社」……きちんと石塀に囲まれ、門柱には「東大井2丁目9-15」の住居表示プレートが貼られていた。

鳥居扁額……失礼だが、手作り感が良い。

目つきの鋭いお狐様がお出迎え……

御祭神は宇迦之売命だろう。隣の現・鮫浜小学校の地にあった曹洞宗寺院「清伝寺」境内に祀られていたが、神仏分離によって当地へ遷座したと。ちなみに清伝寺は明治初期に廃寺となり「天龍寺」に合併されたようだ。

【附けたり】
天龍寺」(品川区南品川4-2-17)……いつ訪問したかと振り返ったら、2019年3月8日のことだった。由来も宗派も全く気にせず、ただただ訪問していただけの私だった。

祠扁額……彫刻も施されていた。
「大井村七稲荷」の一社らしいが「梶原稲荷神社」と寄りそこなった「星雲稲荷神社」以外の4社は分からないままだ。

改修記念
『神社の創祀は詳でないが本殿は明治13年1880年)3月の建造にして其の間 小修理は数回行はれた様である。昭和40年(1965年)2月会員諸氏並びに篤志家の淨財により大改修を行ふことが出来たものである。 鮫洲南町会 昭和40年2月吉日』

奉納扁額には白玉稲荷大明神……現在は、鮫洲八幡神社兼務社かもしれない。

と言うことで、またしてもこんな道を次へ向かった私だった。
 ちなみに、リライトするとかつての誤りや新しい発見がある。加筆や訂正は面倒だが、自分なりの真実に近づけて嬉しい。

今日の「My First JUGEM」は……『悲しい椿』