何となく蒲田八幡神社から歩いた2021年2月22日のこと……
大森八幡神社を後にして、大田区大森中の静かな住宅街を進むと……
綺麗な塀……
「密乗院」……(大田区大森中2-17-5)
真言宗智山派の寺院で玉川八十八ヶ所霊場第77番札所……88の内、なんとか都内だけは制覇したいと考えていた頃だ。当時の日記を見ると『76番「密厳院」もと思ったのだが、大森北はルート外だったから断念した』と書かれていたが、未だに未訪問のままだ。今日現在、大田区内の他の札所はすべて訪問したのに。
いつもの一枚……かつては、大森に鎮座する諸神社の別当寺だったと。
「本堂扁額」……海光山 密乗院 大森寺。南無大師遍照金剛
本堂前でご挨拶をして振り返る。
不動明王を安置して、およそ800年前に開創したそうだ。徳川家康が狩りの折に休まれたそうで、寺領20石を賜ったが、残念ながら御朱印状は天明年間(1781~1789年)の火災によって堂宇と共に焼失したとのこと。
左の松の木の足元に……
なにげなく手水盤……
いらっしゃいました。結構高い所にお立ちです。南無大師遍照金剛……
北を向いておられたから、品川方面を目指すんでしょう。14時48分……斜め逆光。
蓮のモチーフに……
カエル発見……「無事帰る」の遊び心と受け止めた。
「相生地蔵尊」……『この地は明治の頃まで大森村字相生(あいおい)と呼ばれていました。相生には助け合って生きる意味があり、水子地蔵様と六地蔵様に相生地蔵尊と名付けることにいたしました。』と書かれていた。
当時の日記に『菅首相が口にする「自助・共助・公助」だが、「互助」はどこにいってしまったのか? 互いに支えあうという意味では「共助」と共通点はあるが、「互助」は費用負担が制度的に裏付けられないから消されたのか? 都市化や高度経済成長とともに核家族化が進行し、自発的な「互助」は姿を消した。暮らしていくには大切なことなのだが……』と書いていた。懐かしい。
寺務所、客殿兼庫裏でしょうか……モダンな建物だった。山門脇の枝垂れ桜が咲いたらきれいだろう。
コンパクトながら手入れの行き届いた密乗院でした。
桔梗紋は、真言宗智山派の宗紋。なんと木目の美しい事か……南無大師遍照金剛
今日の「My First JUGEM」は……『レーズンバターでノンアル』