足跡(寺社)123・今泉神社……2020.1.14

東急多摩川線の南西側の矢口から下丸子あたりを歩いた2020年1月14日のこと……

新田神社-氷川神社に続いて訪問した真言宗智山派寺院「花光院」の塀(写真左側)の先に玉垣が見えた。池上本門寺を取り囲む日蓮宗寺院を始め、大田区には百数十ヶ寺が存在するというから、寺社を合わせると優に200を越えるだろう。

「今泉神社」(大田区矢口2-2-21)……江戸時代は今泉村だったことを示す社号碑の脇は神輿庫かもしれない。

鳥居をくぐると左の手水盤に「がまんさま」がおいでだった。重さに顔もゆがむわな~

造立時は四隅を担いでいただろうが、現在は前面のみになってしまったようだ。慶応元年(1865年)から支えているのだからくたびれるわな~ ご苦労様。

「力石」……『…宝永年代ヨリ土地老若氏子ガ祭礼の時体位向上心身練磨ニ供用セル石ナリ…』と、石碑に書かれていた。錬磨?練磨?……私に足りないものだ。

右に今泉神社社殿、左に境内社……しっかり掃除が行き届いていたのは、氏子さんたちの協力のたまものだろう。

御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)……日本書紀における応仁天皇の呼び名。現社殿の年代は分からないが、左右に雨水を貯める「天水桶(てんすいおけ)」が置かれている。今でこそコンクリート製となっているが、防火用水として利用した江戸時代の面影を保っていた。
新しい狛犬はおそらく平成時代の奉納と推察する私。

社殿扁額は「今泉神社」とあるが、力石の台座奉納の碑には「宝永年代(1704~10年)より今泉村八幡宮の祭礼で使用していた力石」と書かれていた。当社も八幡さまと呼ばれる神様・誉田別命が祀られているのだから、元々は「今泉八幡宮」であり、別当寺としてお隣の「花光院」が開創されたのではないか、などと勝手に考えてしまう。

社殿左側に石造りの祠が二つ……手前にはお狐さまも鳥居もないから正体は不明。

奥は狛犬が隠れていた。

両方とも味わいはあるが、右は強面だ。ずいぶん年季が入っているように見受けるが、大正2年(1913年)の奉納らしい。石材が弱いのか、年の割には老朽化が進んでいた。

お狐さまがおられるから「稲荷社」……御祭神は宇迦之御魂神であろう。毎度ながら、私は日本書紀で表す倉稲魂命の方が好きだ。油揚げを置くであろう台もあったがお賽銭だけで失礼した。油揚げをぶら下げて散歩に行かれない。

社務所玄関は新しそうだったが、常駐の神職はおられないだろう。
 しかし、秋の祭礼はどうしているのだろうか。地図上では新田神社とここ今泉神社を結ぶ約300mの直線の真ん中に氷川神社が位置している。それぞれが同一日にならないように調整しているだろうが、近隣の子どもたちには嬉しい。縁日 三回楽しめるから……と考えるのは遊んでばかりいた私だけか。現在の子どもたちは塾や習い事で忙しそうだ。

今日の「My First JUGEM」は……『菖蒲湯入った……』