足跡(寺社)94・自由が丘熊野神社・谷畑弁財天……2019.9.9

知らず知らずのうちに『めぐろ風景55』に選ばれている場所にはいくつも訪問していたが、41番「熊野神社と目黒ばやし」、42番「自由が丘のにぎわいと蒼穹の像」は素通りだったので歯医者の帰りに寄ってみることにした2019年9月9日のこと……

自由が丘駅前広場に女神のブロンズ像『蒼穹(あをそら)』が建立されたのは昭和36年(1961年)で、制作:澤田政廣、台字:石井漠とのこと。ちなみに、表記が『自由ヶ丘』から『自由が丘』に変更されたのは1965年だそうだ。15時半だというのに、すっかり日陰になっていて少し残念。

外は暑いから、100店舗ほどがひしめき合うという「自由が丘デパート」内を歩き……

涼しいひかり街を出て西に向かう道……熊野神社はすぐそこ。

参道入り口に、間借りして建てられ風情の小さな祠がある。

青面金剛像だけが描かれている庚申塔。文政11年(1828年)造立のようだ。

社殿まで一直線に続く参道で、奥行きがある。鳥居は三つで三之鳥居だけ朱色だった。(目黒区自由が丘1-24-12)

参道が長いからなかなかたどり着けない。
 境内にあった「めぐろ風景55・熊野神社と目黒ばやし」の説明書きには『かつて谷畑といわれた自由が丘、緑が丘一帯の氏神様であった熊野神社。地元では「谷畑の権現さま」と呼んで親しんできた。その昔、那智(なち)熊野神社(現在の和歌山県)を極楽浄土にみたてた熊野参りが盛んだったが、江戸時代に谷畑の村人が、本宮の分霊をいただいて帰り、祀ったのが始まりという。毎秋、神楽殿で催される目黒ばやしは百数十年の歴史を誇る。』となっていた。
「谷畑の権現さま」とあるが、現在の自由が丘周辺は衾村の中でも「谷畑(やばた)」と呼ばれ、文字通り「谷」と「畑」ばかりの大変のどかな農村集落だった。

石段の手前で一対の狛犬がお出迎え……左の狛犬が子供を足で押さえつけているのが印象的だった。平成13年(2001年)奉納と新しい。

手水舎と、その背後は神輿蔵だろう。そうとうな数があるようだ……

長かった参道の正面に社殿……鉄筋コンクリート造りで昭和42年(1967年)に再建されたようだ。周囲の木々の緑が社殿の朱色を引き立てている。

社殿から神楽殿へは回廊で繋がっている……

社殿を背にして……こちらの狛犬は昭和48年(1973年)奉納だった。

社殿の右奥に鳥居と石碑……戦死者の慰霊碑が「忠魂碑」として全国に普及していったのは日露戦争以後のことらしい。新たな忠魂碑ができないことを祈る。

忠魂碑の左に境内社の「稲荷神社」……倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られているだろう。想像だが、江戸時代のから祀られているのだろう。

木鼻の獅子も見事だった。

龍の彫刻もあったが、今日は載せない。

境内石段上まで引き返すと参道の左に……

栗山久次郎翁……顕彰碑に『ペリー提督率いる黒船が浦賀沖に渡来し、長い鎖国から日本が世界に登場するきっかけとなった嘉永6年(1853年)、栗山久次郎翁が旧家 栗山家の長男として誕生。明治22年(1889年)に碑衾村村長に任命される。村政・教育文化の向上に情熱を注ぎ、晩年は東横線の敷設にあたり尽力された。特筆すべきは旧来の碑衾町大字衾の地名を、「碑衾町大字自由ヶ丘」と改名した……』とあった。「自由が丘誕生の祖」らしい。

参道入り口まで引き返すのが辛かったので、途中で離脱した。「ドライフルーツの店」のようだったが、今も営業されているか……目的地は、正面の亀屋万年堂総本店の裏側だ。自由が丘駅前の再開発に伴い、自由が丘駅前店と統合すると聞いていたが、まだやっているのだろうか。

私のよく知った道だが、右に看板を発見した。それまで素通りだったが……

私道っぽい裏路地を入ると……

奥に「谷畑弁財天」の朱色の鳥居……車が停まっていたので、鳥居の正面からは撮れなかった。

鳥居をくぐると箱庭みたいな境内……池に赤い橋がかかっている。おそらく浮島を表現しているのだろう。正面に「弁財天」、その左に「馬霊魂」……弁財天の屋根には雨どいが付いていた。

弁財天……『……この地の所有者、安藤与四郎氏の先祖は解脱金剛尊者の御神示により弁天様の霊地であることがわかり、谷畑弁財天の神を奉り自由が丘の守護神として建立し、信仰を続けて来た。弁財天は七福神の女神であり「水の神」とも「財宝の神」とも崇められ、信仰者に無限の恵みを与え給うことは広く知られている。御神徳の無辺ならんことを祈念し縁起を記す。平成一五年四月八日』
虫除けキンチョールが置かれていた。水があるから、やぶ蚊がたくさんいるだろう。

馬霊魂……『古来、人世は馬力に負うところ多大である。文明如何に進むとも、基礎に馬の犠牲あることを忘れてはならない。感謝をもって馬霊魂を供養し、馬がもつ天性を菩薩行に表現するなら、生活上起こりやすい、色欲財欲による悩み、また親子夫婦嫁姑間などにおける反目闘争による苦しみから救済される。また疾風迅雷(しっぷうじんらい)の如き速さと活動力、従順性と忠実性は能く交通安全の守護神として素晴らしい働きを示す、更に、肩、足腰の痛みなどに不思議な御加護がある。この碑は昭和十二年、解脱金剛尊者の揮毫(きごう)によるものである。平成十五年四月八日』

道路の案内板に『昔このへんにこんこんと湧き出る清水があった。村の人がその恩恵に感謝して弁天さまを祀ったのが谷畑弁財天の始まりである。』と書かれていた。今も湧いているように見えるが、パイプがあるから循環させているのだろう。スマホの広角レンズは便利だと、つくづく実感した頃のことだった。

今日の「My First JUGEM」は……『リンゴも食べる鳥たち……』