足跡(寺社)85・「上目黒氷川神社」と地蔵尊……2019.5.26

駒場地蔵尊を目指した2019年5月26日のこと……

寿福寺・宿山の庚申塔・西照寺を訪問して、山手通りを歩くと、正面に鳥居の頭が見えた。信号機はあるが、横断歩道はないから歩行者は渡れない。人に優しくない世の中だ。

「上目黒氷川神社」(目黒区大橋2-16-21)……少し離れた場所にある歩道橋を使わされて少々ご機嫌斜めだった私。

結構急な石段だが上った。
 元の石段は文化13年(1816年)に造られたが、明治38年(1905年)に前を通る大山街道(現246・玉川通り)を拡張する際にこのような急勾配の石段になったと。私のような年寄りには辛い。

石段を上ると、正面に「氷川神社社殿」……右に「浅間神社」、左に「稲荷神社」が鎮座している。
 氷川神社天正年間(1573年~1592年)の創建だそうで、社伝によると、甲州の武田家の家臣であった加藤家が、甲斐国上野原より上目黒村に土着する際、上野原の産土神を勧請したと伝えられるとのこと。
 ※  産土様(うぶすなじんじゃ)=産まれた土地を守護している神様。(鎮守神ということだろう。)

【附けたり】上目黒氷川神社のHPには「御祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主神とし、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)を合祀している。」とあったが、現在、御祭神・菅原道真はこちらに祀られている。2021年9月10日撮影(黒区青葉台1-16-2)

社殿前の狛犬(右)仔犬を抱っこしていた。昭和7年(1932年)の奉納で、左は玉持ちだった。

社殿右側に「富士浅間神社」……御祭神は木花咲耶姫命(こなはなさくやひめのみこと)で、鎮火・安産の神様らしい。

富士山信仰が盛んになった江戸時代、富士塚を上り浅間神社をお参りすることで富士山を登拝したことにしたのだが、この浅間神社は上目黒1丁目の目切坂にあった「元富士」を明治11年1878年)に当社境内に遷したようだ。目黒で名をはせた「元富士」と「新富士」の跡地は2カ所とも後に訪問したが、富士山は臨めなかった。

手水舎の後ろの御神木はとにかく巨大だった。御神木の根が手水舎の石畳を持ち上げ始めたので手水舎を移動すると耳にしたから、現在は移されたかもしれない。

社殿左側に「稲荷神社」……御祭神はもちろん宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

古くは「稲荷山」と称されたこの地に、先に鎮座していたのに氷川神社を勧請したため末社となってしまった。それでも、奉納旗が並ぶ様子からは地元の方々の信仰心が伝わる。

境内左側に「神楽殿」……

稲荷神社正面にあった。

いつの天皇即位か分からないが「御大典記念樹」と石碑に書かれていた。

記念樹の後ろにこんな道を発見……境内の浅間神社を参拝する際、より富士山を登っている感覚が味わえるようにと、昭和52年(1977年)に造られた登山道。入り口は246沿いの神社参道口と交番の間にある。

目黒富士登山道の葉っぱの陰に……

九合目……数歩で一合進める。

すぐに山頂到着……毎年7月1日が山開きだって。

目黒富士登山道を下りず、裏参道から失礼した。

正面より急勾配ではなかったと記憶しているが、高低差は充分ある。

上目黒氷川神社を後にして、住宅街を北上……

淡島通りを松見坂交差点に向けて東にちょっと……コカ・コーラの自販機あたりに立ち寄る。

白い鉄柵で囲まれた所に……

松見坂地蔵尊……(目黒区大橋2-1あたり)

元の地蔵尊は昭和20年(1945年)5月25日の空襲で被災したため、現在の石地蔵の下に埋められたと。三猿は良く分からない。庚申塔の下部だけが残ったようには見えない。

山手通りを越えてこんな道……ついて行けば神泉駅そばから渋谷へ通じる道だが、目的は右の植木の中にあった。

「石橋供養塔」(目黒区青葉台4-2あたり)……悪天候の増水などにより交通の障害となっていた昔、三田用水に架けられた石橋に感謝したもので、文化9年(1812年)の建立。当初あった場所ではないようだが、昭和47年(1972年)にこの地で発見され、マンションの住人の方々により保存・修復されて設置しているとのこと。下方の折れた箇所も直して下さった。(庚申塔でも地蔵尊でもないが寄ってみた。)

松見坂から淡島通りを西に歩くと……

目黒区立駒場野公園の一角に前回見過ごした「駒場地蔵尊」があった。仕切りが設けられていて2部屋になっているが、しっかりした地蔵堂だ。(目黒区駒場2-17)

左には、スリムな水子地蔵尊らしい。

右の広い部屋は4基おられた。右の3基が地蔵菩薩で、真ん中の大きなのは1718年造立らしい。駒場地蔵尊と書いているが、古くは「〆切地蔵」と呼ばれたようだ。前の松見地蔵が東の入り口を守っているのに対し、西の入り口はこの地蔵が守っているとのこと。
一番左のは地蔵尊には見えない。観音菩薩かもしれない。赤いよだれかけは似合わない。

前回の散歩時に「馬神の碑」を撮ったが、足元の蹄鉄が欠けていたので追加のつもりで撮ってきた。ニンジンだけでなく、リンゴも供えてあった。(世田谷区池尻4-8)

【附けたり】駒場公園・旧前田邸を見学した帰り道で発見して撮った同月8日の写真。真横を通った駒場地蔵尊は気付かなかったのに、この「馬神」の碑は目に入った。足元の蹄鉄が隠れているでしょ~

烏山川緑道を歩いて帰宅したのだった。

今日の「My First JUGEM」は……『紅白交代間近……』