九品仏浄真寺を後にして等々力通りをブラブラ東へ……
東急目黒線・奥沢駅……工事がなされて、現在は姿が変わったらしい。駅直結のバーミヤンは残っているだろうか。
室町時代の創建と伝えられる「奥沢神社」に寄った。寺社巡りなどまったく意識していなかった頃のことだから、なぜ向かったのかは記憶にない。
鳥居に絡みつく大蛇…… 江戸中期に疫病が流行ったある夜、「藁で作った大蛇を担いで村を巡行せよ」と夢枕に立った八幡様が名主に告げたそうだ。名主がその通りにすると疫病が治まったようで、以降 藁の大蛇を厄除けの守護神として崇め、年に一度村を巡行する祭りが始められたとのこと。
愛嬌のある大蛇だが全長10m、重さ150kgらしいから、僕は参加できないが、今年の「厄除けの大蛇お練り」は今度の土曜日・9日だ。コロナとインフルエンザが治まっていないから私は見学にはいかないが、怪我をされませんように。
良き造りの「社殿」……当神社は、世田谷城主・吉良頼康が現在の「九品仏浄真寺」がある場所に世田谷城の出城として「奥沢城」を築くにあたり、家臣が守護神として勧請したと伝えらると。
祭神は「誉田別尊(ほんだわけのみこと)応神天皇」「稲倉魂ノ命(うがのみたまのみこと)」
「神楽殿」……交差点脇だが境内はとても静かだった。
中央に、中が空洞化した木が気になったが……
「スダジイ」……ブナ科シイ属の常緑広葉樹で、単にシイと言う場合にはこの木だと。世田谷の名木百選のプレートは初見参だったんだろう。
社殿前から左方向に「べんてん道」……
路地の奥に「弁財天社」……岩で築山したのだろう。
池の主である白蛇が村の田畑に水の恵みを与えていたとされる、近所にあった湧水池(奥沢弁天池と呼ばれた池)に鎮座していたのを昭和期に遷座したようだ。奥澤弁天池が商店街となるにあたって引っ越したのだろう。時代の流れには抗えないが、遷座できて良かった。
「子育延命地蔵尊」……とても古そうだ。そばに「八幡小学校発祥之地」の石碑があったな~
地蔵尊の脇に「庚申塔」……享保三年(1718年)の文字も見えるから、地蔵尊もその頃からおいでなのだろう。
これで失礼したのだが、外のそば屋さん「やぶ茂」は今も健在のようだ。
かつ丼セット(1,100円)もありがたいが、食べきれない私は是非ラーメン(750円)にチャレンジしたい。蕎麦屋のラーメン、好きだったから。
今日の「My First JUGEM」は……『みんな脱皮成功……』