鉄飛坂庚申塔

目黒区の『庚申塔めぐりガイド』に記載されている庚申塔……2019年7月10日訪問時の写真

f:id:kazenosanpo:20211007212239j:plain「鉄飛坂」……目黒区平町の「桜森稲荷神社」から「吞川緑道」を少しだけ南に歩き「中里橋」から左(東)へ上って行く坂。この坂上に、帝釈天を祀るお堂があります。いつのまにか「中里橋」となってしまいましたが、昔は「茶屋橋」という名称でした。川から東がこの「鉄飛坂」で、反対側には西へ上って行「寺郷の坂」があります。

f:id:kazenosanpo:20211007212257j:plain左側:平町2丁目と右側:大岡山1丁目の境の坂。写真ではさほど感じないけど結構な急坂で、途中で息切れすることも。目黒不動から円融寺に参り、九品仏・浄真寺へと向かう参詣遊山の江戸庶民には難所だったことでしょう。

f:id:kazenosanpo:20211007212313j:plain「鉄飛」というちょっと変わった呼び名……『徳川幕府の初期時代、佐渡金山の大改善を行おうとしてポルトガル人「ヒモンヤス」「テッピョウス」の2人に聴聞した。』『奥州征討(後三年の役)に従軍した碑文谷の豪族、碑文谷太郎道政が捕虜「鉄の飛」を連れ帰ってこの辺に住まわせた。』『鎌倉時代武蔵国の荏原一帯を領していた荏原太郎義利の家臣「鉄飛十郎兵衛」がこのあたりに住んでいた。』『元寇襲来のときの金沢殿着到帖に鉄飛五郎の名がみえることによる。』などなど色々あるようですが、はてさてどれが正解か……

f:id:kazenosanpo:20211007212330j:plain「鉄飛坂帝釈堂」目黒区平町2-18
堂内に、庚申塔3基と題目塔1基が区指定有形文化財として置かれていますが非公開。保存状態が良く、美術的にも優れているということですが拝見できず残念です。
庚申塔
「奉敬礼帰命帝釈天王」延宝8年(1680年)
「奉尊敬帰命帝釈天王」貞亭2年(1685年)
「南無妙法蓮華経(下部に帝釈天像を浮彫)」明治14年(1881年)
【題目塔】
「南無妙法蓮華経天保13年(1842年)
いずれも日蓮宗の題目か帝釈天を中心にした塔のようだけど、帝釈天と言えば「柴又帝釈天」……『江戸時代初期・寛永6年(1629年) に開基された日蓮宗寺院。開山は下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄上人が実際の開基。(柴又帝釈天HPより)』
柴又帝釈天には日蓮聖人御親刻と言われるご本尊(板本尊)が安置されていたけど、江戸中期に一時所在不明に。安永8年(1779年)の春、本堂改修中の梁の上に発見されるが、その吉日が庚申(かのえさる)に当たったことが帝釈天と庚申の結縁の始まりだと。
ちなみに「板本尊」には「南無妙法蓮華経」のお題目の他に「法華経・薬王品」と、右手に剣を持ち、左手を開いた忿怒の相をあらわした「帝釈天御本尊」が彫られているそうです。すでに盛んであった「庚申待ち信仰」を追い風にして「帝釈天信仰」を高めていったのかもしれません。ちなみに、目黒区内で帝釈天信仰と日蓮宗信仰が結びついている庚申塔はここにあるものだけとのことでした。

f:id:kazenosanpo:20211007212348j:plain境内には駒形と角柱の2基……

f:id:kazenosanpo:20211007212407j:plain手前……年代不詳ながら、青面金剛、三猿に太陽と月をあしらった典型的かつ見事な駒形庚申塔

f:id:kazenosanpo:20211007212427j:plain奥……「右 ほりの内 左 池上」と彫られ、道標を兼ねた庚申塔。もう一方は「右 目くろミち  左 二子の渡し」でした。

f:id:kazenosanpo:20211007212447j:plain側面に「庚申供養塔」との文字が確認できます。どちらも他所より移されてきたようです。

【附けたり】2017年1月15日の写真

f:id:kazenosanpo:20211009115507j:plain「寺郷の坂」は、「鉄飛坂」を下って呑川を渡ると西へ上って行きます。江戸時代の初め天和の頃(1681年~1684年)の地名「衾村の寺郷(てらごう)」から名付けられたのでしょうが、九品仏・浄真寺参りの人びとを当て込んだ4軒の水茶屋があったと。
田道橋を渡り三田方面に通ずる坂「茶屋坂」があったけど、こっちも茶屋坂でもよかったのに……ちなみに、後方に中途半端に写っているのは旧名主岡田邸の「岡田家長屋門」です。「岡田の森」と呼ばれたそうですが、現在は北側が「中根公園」になっています。

【おまけ・茶屋坂】2019年4月13日の写真

f:id:kazenosanpo:20211009141241j:plain茶屋坂入り口……目黒区三田2丁目 この日は坂上からの下りだった。

f:id:kazenosanpo:20211009141256j:plain結構狭い道で、車も来ます。

f:id:kazenosanpo:20211009141312j:plain江戸の初め、この辺りの眺望のよいところに1軒の茶屋があって、徳川三代将軍家光が目黒筋遊猟(たぶん鷹狩り)の帰りにしばしば寄ったと。茶屋の主人彦四郎の素朴な人柄を愛した家光は「爺、爺」と話しかけたので、いつしか「爺々が茶屋」と呼ばれるようになったとさ……

f:id:kazenosanpo:20211009141326j:plain10%と表示があったけど6度以上あると私は思いました。

f:id:kazenosanpo:20211009141342j:plain最後は、やっぱり目黒川方向に下り……

f:id:kazenosanpo:20211009141356j:plain茶屋坂でありました。

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