十七が坂上庚申塔

目黒区の『庚申塔めぐりガイド』に記載されている庚申塔……2019年3月15日訪問時の写真

f:id:kazenosanpo:20210916102248j:plain「藤の庚申」から、「庚申道」と呼ばれる道を南東へ進み「馬喰坂上庚申塔群」を過ぎると、こんな景色。目的地は、傾斜10%の下り坂「十七が坂」の手前……赤い三角コーンが置いてあります。

f:id:kazenosanpo:20210916102305j:plain「十七が坂」……宿山と目黒不動尊を結ぶこの庚申道の難関がこの坂。「子どもが坂道の途中でころぶと、17歳になったとき不祥事が起きる」なんて言い伝えもあったらしい。「なべころ坂」や「馬喰坂」など、難所だらけの一帯でした。

f:id:kazenosanpo:20210916102331j:plain道標はかすれてしまっています……後でふれますが、板碑型庚申供養塔に、江戸時代の中目黒の有力者17名の名が刻まれていることから十七が坂の名が生まれたとも云われています。

f:id:kazenosanpo:20210916102353j:plain「十七が坂上庚申塔」(目黒区目黒3-3)……墓地の中でした。

f:id:kazenosanpo:20210916102414j:plain写真ほぼ中央前列にある板碑が明暦3年(1657年)の庚申塔で、下部に17人の建立者名が刻まれているとのこと。その筆頭者として名を連ねる「権之助」は、「権之助坂」の名のおこりになった「菅沼権之助」ではないかと言われているそうです。
ちなみに、明暦3年(1657年)は、3件の大規模火災「明暦の江戸大火」が発生した年。時の4代将軍徳川家綱は苦労したであろう。
少し隠れてしまっていますが、板碑後方の背の高いの。2mほどある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」は、区内最古・寛永3年(1626年)の庚申塔なんですって。こちらにも菅沼一族8名の名があるそうです。これほどの庚申塔を建てられたということは、よほどの財力の持ち主だったのでしょう。

f:id:kazenosanpo:20210916102430j:plain年代等不詳ですが、青面金剛でしょうか?とろけてしまっています。屋根を付けてもらってありがたいですね。

f:id:kazenosanpo:20210916102448j:plain十七が坂を下ると、狭い住宅のすき間を通る「谷戸前川緑道」が横切りますが、今日は載せません。昨日の歯医者帰りのコピット散歩で疲れたから……ごめんなさい。

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