ばくろ坂上庚申塔群

目黒区の『庚申塔めぐりガイド』に記載されている庚申塔……2019年3月2日の写真

f:id:kazenosanpo:20210911142953j:plain「ひいらぎ庚申」のある田道橋から、山手通りを越えて西に向かって上り坂……

f:id:kazenosanpo:20210911143008j:plain「馬喰坂(馬喰坂)」……傾斜の厳しい急坂だったから、坂上の路面を切り下げ、その切り土で坂下の路面を高めて坂全体の傾斜を緩める切り通しの工事をしたのだが、頂上部には庚申道が交差していたから思いきった切り通し工事ができなかったと。そのために路面はいつも風雨にさらされ、大小の穴をあけていたので、人びとはこの坂を「ばくろ坂」と呼んだのだという。「ばくろ」とは、風雨にさらされ穴のあいた状態を示す目黒の古い方言だそうだ。馬を喰らうんじゃなさそうです。

f:id:kazenosanpo:20210911143021j:plainほぼ坂上……右のカーブミラーの脇に「ばくろ坂上庚申塔群」……右に行くと「十七ヶ坂上庚申塔」、左に行くと「藤の庚申」で、さらに進むと「上目黒天祖神社」の庚申塔があり「庚申道」と呼ばれていたかも。左に入ってすぐの「長泉院」門前(隣接する現代彫刻美術館門前の方が正しいかもしれない)にも小さな庚申塔がありますが、目黒区の庚申塔めぐりガイドには記載がありません。

f:id:kazenosanpo:20210911143038j:plain「ばくろ坂上庚申塔」目黒3-21……切り通しの工事で壊されなくて良かったです。目線より高い位置にあるから見落とします。

f:id:kazenosanpo:20210911143054j:plain庚申塔4基……いずれも駒形碑ですが、青面金剛が彫られている3基はすべて合掌型で、三猿も描かれています。
一番右は宝永7年(1710年)。
延宝8年(1680年)の右から二番目はちょっと変わっていて、下部に三猿を浮彫にし、上部に戒名が刻まれた板碑。
三番目は宝永3年(1706年)で、日月と二鶏も彫られています。
一番左は寛保2年(1742年)造立で、上部に八字形の庇(ひさし)があります。
と言うことで「ばくろ坂上庚申塔群」でした。

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