藤の庚申

目黒区の『庚申塔めぐりガイド』に記載されている庚申塔……2019年3月15日訪問時の写真

f:id:kazenosanpo:20210916101045j:plain中町通りを東に進んで、馬喰坂の手前を左折……軽い上り

f:id:kazenosanpo:20210916101115j:plain突当りの左角に……

f:id:kazenosanpo:20210916101145j:plain「藤の庚申」(中目黒5-6-5)……「なべころ坂緑地公園」の角に2基並んでいます。今も藤棚はありますが、昔は藤の大木があったことから「藤の庚申」と呼ばれています。現在も春にはこの藤が美しい花をつけます。
前を通る道を東(写真でいうと左)に進むと「長泉院」「馬喰坂上庚申塔群」や「十七が坂上庚申塔」を経て「目黒不動」への道。反対方向は「上目黒天祖神社」を経て「宿山の庚申塔」へとぬけていき、現在も多数の庚申塔が残っているように「庚申道」と呼ばれています。江戸時代の人々が宿山方面から目黒不動へと往復した道でした。少々アップダウンがあるから大変だったでしょう。

f:id:kazenosanpo:20210916101208j:plain1m以上もある左側の駒形の碑は合掌六臂の青面金剛像と三猿の図柄と、「為両親二世安楽也」の願文が彫られています。「貞享元甲子年十月下旬」(1684年)の建立。
右側の小さな板碑型は元禄元(1688年)の造立で、中央に「南無青面金剛」の文字と、下部に「申ノ形」という文字がた縦に3列並べて彫ってあると。(赤いよだれかけで、どちらも見えませんが)「申(さる)ノ形」3つは「三猿」を文字で表したんでしょう。

f:id:kazenosanpo:20210916101242j:plainとても大きな石でした……

f:id:kazenosanpo:20210916101304j:plainこちらが「なべころ坂」……「馬喰坂」同様に目黒川に向かっています。下ってからは、北西方向に「中目黒八幡神社」「上目黒天祖神社」「烏森稲荷神社」「宿山の庚申塔」「寿福寺」を辿ることができます。
「なべころ坂」ですが、鍋が転がるほどの急坂であったことからこの名がつけられたとする説と、別名「なべごろ坂」と呼ばれ赤土が水でやわらかくなった状態を指す目黒の古い方言「なべごろ」であったとする説があるようです。近くの「馬喰坂」同様に難所だったことでしょう。

f:id:kazenosanpo:20210916101326j:plain藤の庚申前を南東の馬喰坂上に向かうと「長泉院」があります。

f:id:kazenosanpo:20210916101346j:plainその長泉院わきの「現代彫刻美術館」入り口に……

f:id:kazenosanpo:20210916101407j:plainポツンと庚申塔……正面に「庚申供養塔」と彫られ、寛政年間(1789年頃)に「武州荏原郡中目黒村講中」が建てたもの。この位置にあったのではなさそうです。と言うことで、今日はこんなの……次回の庚申塔は「十七ヶ坂上庚申塔」です。

今日の「はてなブログ・気まぐれなページMkⅡ」は『旧朝倉家住宅(後編・庭園)』