目黒区の『庚申塔めぐりガイド』に記載されている庚申塔……2019年4月13日訪問時の写真
東京共済病院手前の目黒川に架かる「田楽橋」を渡って住宅街へ……右高台は東京都職員住宅だって……広い敷地のようです。
ちょっと進むと上り坂の始まり……坂標あります。
「別所坂」……ちょっと前にJUGEMで「目切坂」を書いた折、冨士塚つながりで少し載せちゃいましたね。坂の下が別所という地名だったそうですが、現在は「目黒区中目黒」。左が1丁目で右が2丁目。
右側にえらい階段……上には「別所坂児童遊園」があるらしいけど、電動ちゃりやベビーカーは上れないからママさんたちは行かないかもしれない。
江戸時代には存在したらしいけど、よくぞこの急斜面を切り割ったものだと感心させられます。
くね~っと曲がればほぼ終点だけど、この別所坂の勾配は上に行けば行くほど急になります。20%以上はあるかしら? そうだ、連れ合いのスマホには角度・勾配が計れるアプリが入ってました。私のにはない。悲しい……
車もここまで上がってきます。と言うことは、この別所坂は一通ではないと言うことです。さて、突当りの左に……
「別所坂上庚申塔」……寛文5年~明和元年(1665~1764年)造立の6基の庚申塔が、コンクリートの堂宇に大切に祀られています。
手前中央と奥右は板碑型庚申塔で、どちらも文字塔となっています。手前中央には「延宝8年(1680年)11月」と「奉供養南無帝釈天王」が薄っすら読み取れますが、奥右は読めない。ひょっとすると寛文5年造立で、この中では一番古い塔かもしれない。
その他の4基はいずれも合掌六臂の青面金剛と邪鬼、三猿、二鶏などの図柄が浮き彫りされています。読み取れる造立年は、手前左=享保元年(1716年)11月と、手前右=元禄元年(1688年)10月でした。明和元年(1764年)の新しい塔は、後列中央かもしれません。確証はありませんが、なんだか新しそうに見えるから……
目黒区も「庚申塔めぐりガイド」なんてのを作って載せているんだから、各基の造立年ぐらいは記載してよ。小さい写真1枚と「きつい坂道を上ったところに6基の庚申塔が収められています。」なんて一行文だけは冷たすぎる。
最後は階段……
坂上から見るとこんな感じ……恵比寿駅と中目黒駅との中間ぐらいの場所でしょうか。歩く人も結構いました。
高いビルがなかった昔の景色はどんなだったことか……今は富士山望めませんね。
「目黒の新富士(跡地らしい)」……えぞ・千島の探検で知られた近藤重蔵が文政2年(1819年)、新富士・近藤富士などと呼ばれた築山を造り、「目黒元富士」とともに江戸名所のひとつとして昭和34年(1955年)まで、その形を残して行楽客に親しまれたと。
【附けたり】今年9月15日撮影
「目黒元富士跡」……目切坂の上でした。