足跡(寺社)11・蟠龍寺・2017.11.17……

まだまだ寺社そのものに感心があったわけではなく、同年2月に目黒不動を訪問して知った「山手七福神」の未訪問寺院まで散歩に行った2017年11月17日……日記帳をひも解くと、朝はバンで卵サンドモーニングを食べたのだった。

目黒の大鳥神社近く、山手通り沿いに「蟠龍寺」参道入り口がある。門柱に「岩屋辨天」とあるから、残すところは「大円寺」の「大黒天」だけ……

住宅に挟まれた細い参道を進むとお地蔵さん……
『目黒行人坂付近にあった称明院(慶安元年1648年開創)を、増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)霊雲山称明院蟠龍寺と改名再建されました。
次いで、寛政6年(1794)律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残を今にとどめています。』と区教委の説明書きがあった。

名残の結界石はどこかと思ったら、地蔵尊の後方で木に隠れていた。今なら、なんとかきちんと撮ってくるだろうが、当時は熱が足りなかった。

先客がいらしたので、少し足踏み……

霊雲山称明院 蟠龍寺(ばんりゅうじ)……浄土宗の寺院

本堂前……「蟠龍」とは、とぐろを巻いて力を蓄える龍の意とのこと。

私もお線香をあげさせていただいた。

御本尊「阿弥陀如来像」……同寺よりも古く、法然上人がまだご在世だった平安末期から鎌倉初期くらいに造られたものを遷(うつ)されたと考えられているそうだが、法然上人と同時代を生きていた仏様にロマンを感じるのは私だけか……南無阿弥陀仏

同寺は、お坊さんの集団内ルールを重視し、真摯に阿弥陀如来に向き合って生活をしていく「律院(りついん)」であり、修行道場に近い造りとのこと。「龍」を冠する「蟠龍寺」だけあって、本堂の天井には龍の絵が描かれているようだ。天井までは見上げて来なかった~

本堂前のお地蔵さん…

本堂右手に「弁天堂」……木造の弁財天(八臂の天女像)が安置されていると。

弁天堂脇の石仏にもきちんと花が供えられていた。

弁天堂の左奥に「岩窟」……

岩窟内に石造の「弁財天」が鎮座していた。こちらも八臂にうかがえるが、通称「岩屋弁天」と呼ばれ、江戸裏鬼門の鎮守だそうだ。ぼやけていて識別しにくいが、左側にはとぐろを巻く白蛇も鎮座していた。

こじんまりとした境内だが池もあった。
「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」……この日記を書きながら頭に浮かんだ法然上人のお歌……
 蛇足ながら、この後「大円寺」に寄り、田丸でチャーシュー麺を食べた。そして、晩御飯はセブンイレブンの中華丼で休肝日だったらしい。真面目な生活をしていたようだ。

今日の「My First JUGEM」は……『自生のミョウガ発見……』