足跡(寺社)10・豪徳寺(2017.8.19)……

今日も古い散歩の写真……同年2月、松陰神社訪問時に寄ってくれば良かったと思っていた豪徳寺に出向いたのは2017年8月19日のこと。日記帳を見ると「Trilux AMG Mercedes」を作り終えて少々模型は休息していた時期の散歩。まだまだ寺社に興味関心があったわけではなく、お願いしてあった「ムスタング '73」をシゴーニュさんから引き取るのが第一目的で出かけたのだった。(ちなみに、残念ながらムスタングは私の手に負えるものではなかったから押し入れで冬眠している。)

曹洞宗寺院「豪徳寺」の参道口……

覆いかぶさるように木々が斜めっていた参道……

山門の扁額には「碧雲関」という文字が書かれている。「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味するそうだ。

山門から仏殿の眺め………本堂は仏殿の後方に位置する。

お線香立てだろう……巨大!!

「仏殿」……延宝5年(1677年)建立。扁額には「弎世佛」とあり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されていると。阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像。

全景は写し切れていないが「三重塔」……平成18年(2006年)5月に落慶した、高さ22.5メートルの塔には、釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されているようだ。

「招福殿」……昭和16年の建立と、意外と新しいのね。令和4年に改修されたようだから、そのうちに現在の姿を見てこよう。当日見過ごしたものが多くあったようだし……

招福殿の左側が招猫奉納所になっていて……猫・ねこ・ネコ

こっちも 猫・ねこ・ネコ……豪徳寺では「招福猫児(まねきねこ)」と表記している。

招福猫児に左手を上げている猫はいない。人を招いて「縁」をもたらしてくれるが、福そのものを与えてくれるわけではない。但し、その「縁」を生かせるかどうかは、その人次第だと。報恩感謝の気持ちがあれば自然とその人のもとに福が訪れるという教えから、小判も持たないそうだ。

招福殿では猫児は買えません。ちなみに、提灯にあるように堂内には「招福観音菩薩立像」が安置されているとのこと。

少し離れた場所にある庫裏・書院の受付で猫児は求められる。

昭和42年(1967年)に造営された「本堂」……仏殿とはまったく趣が異なるが、美しかった。南無釈迦牟尼
 文明12年(1480年)に世田谷城主吉良政忠が亡くなった伯母の菩提のために創建した「弘徳院」を、寛永10年(1633年)に世田谷が彦根藩の所領地となった彦根藩主井伊家が江戸菩提寺と定め、その後の万治2年(1659年)2代藩主井伊直孝法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み「豪徳寺」と改称された。周辺では最大規模の国指定史跡。
 彦根藩主・井伊直孝が鷹狩り帰りに猫に手招きされて立ち寄った場所とされているが、豪德寺は直孝の支援があって再興した。招き猫児のご利益だろう。
 蛇足ながら、彦根市の公式ゆるキャラひこにゃん」は、直孝が出会った招き猫をモデルにしたらしい。

延宝7年(1679年)、藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造された「梵鐘」は、区内最古とのこと。
 またまた蛇足ながら、NHK大河ドラマなど見て来なかった私だが、この年の「女城主 直虎」は見ていた。次郎法師・直虎の柴咲コウは好きだったし、小野正次役・高橋一生も良い味だしていた。

傍の「世田谷城跡」の土手に登ってみた……お蔭で汗がダラダラ。服はびしょぬれ。仕方なく串カツ田中世田谷店で涼むことになった。お会計は1,563円。クーラーとトイレを借りたから安いもんだろう。
帰宅して豪徳寺に行ってきたと連れ合いに言うと、
「猫がおりましたやろ~」
「なんで知ってるの?」
「有名やんか……一応私かて都民やで~」と誇らしそうだった。
「行ったことはないけどな~」と付け加えられた言葉に、義母の世話ばかリさせて申し訳ない思いがしたことはちゃんと記憶している。

今日の「My First JUGEM」は……『頑張ったハイビスカス……』