足跡(寺社)14・浄光寺・天祖神社・2018.3.10……

世田谷代官屋敷を目指した2018年3月10日のこと……日記帳をひも解くと、マクラーレンF1 GTR 1997のデカールを貼り終え、乾かしている間だったので暇だったらしい。モーニングは、バンでハムサンドを食べた。

駒留通りから脇に入ると……

「浄光寺」(世田谷区世田谷1-38-20)……まだまだ寺社への関心は浅かったが、とりあえず寄らせていただいた。

九品山往生院と号す浄土宗寺院で、文安元年(1444年)専蓮社然誉上人補阿源公大和尚が開山したと伝えられる古刹。江戸時代に火災で本堂などを消失したが、その翌年、寛政8年(1796年)に建立されたと聞くき、立ち直りの速さに驚く。昭和28年(1953年)に茅葺きから瓦葺きに改築されたそうだが、出来得る限り残りますように。
勝手な推察ですが、本尊は阿弥陀如来像でしょう。南無阿弥陀仏……

趣のある「観音堂」……彦根藩世田谷領の代官を務めた大場家の菩提寺で、境内墓所には大場越後守信久以下世田谷代官歴代のお墓があるそうだ。私は立ち入らなかったが……代官屋敷はすぐ隣だから、墓参は頻繁に来られたことでしょう。

世田谷区の保存樹木・イチョウも立派だったが、静けさに包まれた浄光寺だった。

代官屋敷に向かうと、T字路に裏門があった。

でもって、浄光寺の北側に「代官屋敷」茅葺の表門(世田谷区世田谷1-29-18)……右側に番所を備えている。税金が流失し続けている世田谷区は、維持管理が大変だろう。

濡れ縁完備の70坪の主屋……2階にはお洒落なテラスがあった。でも、冬は寒かっただろう。黄色いのは蝋梅だったか?

白いのは梅だったのだろう。

主屋西側……右方向に白州通用門があり、このあたりで領内の名主が藩の役人に謁見(えっけん)していたようだ。15時だったから郷土資料館の影が落ち始めていた。(なぜかこの日は資料館には入館しなかった。へんな私だ。)

主屋を一周して見学終了~(主屋内も部分的に立ち入れたが、今日は写真抜き。)
 青々として立派な樹は、世田谷区名木百選に選ばれている「タブノキ」だが、屋敷内にはこの木以外にも、7種10本の保存樹木があるとのこと。入館料が無料なのもありがたい。管理人さんも優しい方だった。

代官屋敷表門の斜め前に「上町天祖神社」(世田谷区世田谷1-23-5)……社号碑はボロ市通り沿いにあるが、鳥居はずっと奥。

江戸時代後期の嘉永2年(1849年)に祠が建てられ、伊勢森(現在の世田谷区大蔵付近)にあった稲荷社をこの地へ移して相殿としたらしい。従って、祀られているのは天照大御神倉稲魂神とのこと。一村一社の流れの中、明治42年(1909年)に世田谷八幡宮に合祀されたが、上町の人々の要望により昭和6年(1931年)に本殿を建て直して再建されたと。
 一見、広々とした境内を持っているようにみえるが、区立世田谷天祖神社広場が占領しているから、柵で覆われている部分だけが神社の敷地なのだろう。
 再訪した折も社伝前の鉄柵は閉じられていたから、距離感を感じる参拝になってしまうのが残念だ。

トイレ休憩のため串カツ田中に寄ったので、アトリエ見学はしなかった。店員が「五反田行のバスに乗れば帰れますよ」と教えてくれたが、頑張って歩いた酔っぱらいの私だった。

綺麗な五差路を通過したのは16時55分だった。あの頃はずいぶん歩けたな~

今日の「My First JUGEM」は……『またスケルトンリーフ(葉脈標本)……』