足跡(寺社)17・宇佐神社・2018.9.8……

丸子川沿いを歩こうと出かけた2018年9月8日のこと……善養密寺から伝乗寺を訪問して、同寺の裏門から北へ向かう「寮の坂」へ進むと……

「宇佐神社」(世田谷区尾山台2-11-3)
東京都神社庁には『源頼義公が、永承六年安部一族定のために尾山の地に陣を張り勝利を誓い、そして康平五年(1063年)安部一族を平定し、ここに八幡社を建て神に勝利を報告し感謝したのが当社の起りであります。』と書かれている。
世田谷区で最も南に位置する神社らしい。北はどこかしら?

よっこらしょと石段を上ると「宇佐神社 拝殿」……元禄12年(1699年)、別当寺であった「伝乗寺」7世によって社殿が再建されたとのこと。もちろんその後に改修されているだろうが。御祭神は「誉田別命応神天皇)」
 社殿後方はコンクリートブロックで固められた崖になっているが、五世紀頃の「八幡塚古墳」が存在するらしい。この辺りも国分寺崖線上に位置するため、尾山台から上野毛にかけていくつもの古墳がある。「狐塚古墳(尾山台2-17-10)」「御岳山古墳(等々力1-18)」「野毛大塚古墳(野毛1-25)」「上野毛稲荷塚古墳(上野毛2-12-20)」「稲荷丸古墳(五島美術館庭園内・上野毛3-9-25)」(いずれも世田谷区)……なんてのも探しに行った。

社殿左側に「神楽殿」……古いな~
写真右端に小さな祠。まったく気付いていなかったが、庚申塔でも収まっていたのだろう。興味も関心もなく、ただ散歩をしていただけだったから。

社殿右側に「社務所」……比較的新しいが、もちろん常駐はしていないだろう。例祭日は、10月の第1日曜日らしい。神輿もでるのかしら?

空はそこそこ青かった……
 永承6年(1051年)に奥州平定に向かう源頼義公がこの地(尾山)に陣を張った折、八つに分かれた白雲が空に棚引いたとのこと。源氏の白幡のような姿を喜び、戦に勝ったらこの地に八幡社を建立しようと誓ったらしい。頼義公が誓約を守ったから、現在の宇佐神社があるということだ。
【附けたり】……宇佐神社の「八幡塚古墳」から北西に向かって直線距離で2㎞程の間にある古墳。

「狐塚古墳(尾山台2-17-10)」2019年11月29日……かつて小さな稲荷の祠があったらしい。

古墳自体は直径約30m、高さ約4.6mで、古墳時代中期後半(5世紀後半)の古墳。縄文土器や石器、古墳時代の土器も出土していると。人々が暮らしていた証。

「御岳山古墳(等々力1-18)」2019年11月29日……特別な日以外は立ち入り禁止。

古墳時代中期(約1,550年前)の古墳で、全長54m、後円部直径40m、高さ7mで、野毛大塚古墳に次ぐ規模だと。また、周囲に7個の鈴がつけられた日本独特の形の「七鈴鏡」が出土されたそうだ。

「野毛大塚古墳(野毛1-25)」2019年11月29日……古墳時代中期(約1,600年前)のもので、野毛古墳群のなかで最大規模。

全長82m、後円部直径67m、高さ11mの「帆立貝形古墳」は大きかった。私は上らない……

上野毛稲荷塚古墳(上野毛2-12-20)」2019年12月4日……住宅に挟まれたところにエントランス。

野毛古墳群を追いかけた11月に見逃したから再捜査をしたのだが、残念ながら立入禁止。

全長約33m、後円部の高さ3mと推定される小規模な前方後円墳で、古墳時代中期初頭(約1,600年前)とのこと。野毛古墳群で最初に出現した古墳らしい。

「稲荷丸古墳(五島美術館庭園内・上野毛3-9-25)」2019年11月29日……詳しいことは不明だが、径20m前後の円墳らしい。尚、この地は縄文時代前期後半の竪穴式住居も見つかっていて、集落址が確認されているらしい。川もあり住むには良い地の利だったんだろう。
 古墳の附けたりはやめようとおもったのに、載せてしまった。疲れた~

今日の「My First JUGEM」は……『難儀している……』