足跡(寺社)28・岡本八幡神社・2018.11.20……

2018年11月20日上野毛あたりから丸子川沿いを上り、治太夫橋から旧大山道の慈眼寺坂を上って「身延山関東別院玉川寺」と「瀬田玉川神社」に寄った続き。

「下山橋」通過……なぜかカタツムリ……信号待ちの間にパチリ。

カモなのか? ネギはしょっていない。

2本の川が合流する。川に挟まれた一帯は広大な庭園と「文庫美術館」のある「岡本静嘉堂緑地」。当日は川沿い歩きが目的だったので寄らなかったが、連れ合いは訪問して「曜変天目茶碗」を目にしていた。(私は翌19年1月に訪問したが、残念ながら美術館は休館中だった。)

静嘉堂緑地から流れ出てくる水……湧水があるのかも?

八幡橋」なんてのを目にしてしまったので……

神社があるだろうと、こんな路を行ってみることにしたのだが……

だんだん上り坂になって……

さらに二股……

左のこんな所を上ると……

あった……「岡本八幡神社」(世田谷区岡本2-21-2)

社殿左側の学問の神様「岡本天満宮」にもご挨拶。学問には無縁の私だが……

同社の古い記録はほとんど残っていなが、唯一、安政元年(1854年)には改修工事を行ったとの記録があるらしいから少なくとも江戸時代には存在していたのだろう。
「神社橋」の名に惹かれて私が辿ってきた細い道は、昔々の参道だったのかもしれない。

新しそうな「神楽殿」……秋祭は有名みたいだが、今年の10月第1土日曜日は無事に済んだことだろう。雨でなくて良かった。

社殿正面から鳥居までの石段……直線距離で700メートルほどにある、昨日載せた「瀬田玉川神社」同様に、国分寺崖線の丘の上に鎮座しているから急な石段だ。

「岡本八幡神社鳥居」……転ぶことなく無事に下りてきた。八幡橋の名称に誘われて渡ってしまったが、1つ先の「根河原橋」を行くのが正解だったと後で知った。

八幡神社を出ると「岡本公園民家園」裏門(世田谷区岡本2-19-1)……区内桜に大正13年(1924)に建てられた旧横尾家住宅椀木門を移築したそうだ。農家の形式とは異なるから裏門にしたのだと。

「旧長崎家母屋」(区内瀬田より移築)……江戸後期の典型的な農家の家屋を再現したそうだが、維持管理費もそうとうかかるだとう。世田谷区にふるさと納税しようかしら?なんて思った私だった。
一応、母屋右で受け付け記帳していたら「どうぞごゆっくり~」とご婦人が声をかけてくださった。中では数人が楽しそうに談笑されていましたので、上がっても良さそうです。

こちらも民家再現に欠かせない。
奥にちょっと写っているのは「旧浦野家住宅土蔵」だそうだ。長崎、横尾、浦野、三家の合作民家園だった。

品評会で賞をもらった方々の作品……昔昔のその昔、祖父も毎年こんなのを丹誠に育てていた。台風がやって来そうになると、一家総出で納屋に避難させた。みごとな菊の鉢をリヤカーに積んで、親戚の庭先に配るのを手伝った記憶が残っているが、技術を伝承できなかった祖父は残念かもしれない。

母屋の軒下には農機具らしきが並んでいた。祖父が健在だったころは、我が家にもいくつかあった。

裏には井戸があって、竹林も……竹の子食べただろう。

同じ丸子川を引き返すのが面白くないので、帰りは多摩川を下った。ストーカーをしたわけではない。
蛇足ながら、コヤマドライビングスクールの教習車アウディー(右ハンドル)のナンバーは全部「1」だったことを発見。5年前のことだが、写真を振り返ると今でも記憶はしっかりと残っている。風の匂いまでは忘れてしまったが……
【附けたり】(2020年11月10日の写真)

岡本公園民家園裏門が、区内桜に建てられた旧横尾家住宅椀木門を移築したと書いて思い当たった。以前歩いた「桜」のこんな場所に、庚申塔(右)とお地蔵さん(左)が向かい合っていた。

世田谷区桜1丁目の庚申塔……唐破風笠付きの立派な庚申塔。左肩の「享保10年(1725年)」が辛うじて読める。赤い布をめくるわけにはいかないので詳細は不明だが、おそらく青面金剛以外にも三猿などが描かれていることだろう。手前は、お賽銭箱かと思ったら手水盤だった。

桜2丁目のお地蔵さん……蓮台に立ち、舟形光背を背負っている。信仰心の篤い方々がお住まいだったことだろう。しかし、よくぞこんな場所まで散歩をしたものだ。また歩けるかな~

今日の「My First JUGEM」は……『ワクチンがないらしい……』