足跡(寺社)12・大円寺・2017.11.17……

目黒不動(恵比寿)」で山手七福神を知ったので「覚林寺(清正公)(毘沙門天)」「瑞聖寺(布袋尊)」「妙円寺(福禄寿・寿老人)」「蟠竜寺(弁財天)」を訪問したので、最後の一ヵ寺「大円寺(大黒天)」を訪ねた2017年11月17日……
 模型はまだ熱心に取り組んでいた頃で、Fokker Dr.Ⅰを終えて、ヤマハYZR-M1’09のカウルにデカールを貼っていたようだ。

雅叙園から目黒駅に向かう「行人坂」の途中に大円寺がある。江戸市中から目黒不動尊への参詣路であり、大円寺を拠点にする修験道の行者もこの坂道を往来したことが行人坂の名前の由来らしい。

「松林山 大圓寺」……長いことこの坂を歩かなかったからいつからかは不明だが、以前とは風情がまったく変わり綺麗になっていた。
 寺伝では、寛永元年(1624年)出羽湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりという。

境内に踏み込むと、左手のがけに沿い幾段にも並ぶ「石仏群」に圧倒される。
 明和9年(1772年)大円寺が火元とみられた江戸市中628町に延焼した大火「行人坂の火事」があり、この火事で亡くなった人々を供養するために建立された五百羅漢の石仏と伝えられる。
 左右に文殊菩薩普賢菩薩を配した釈迦三尊像が鎮座している。釈迦如来の刻銘は天明元年(1781年)とのこと。南無釈迦牟尼仏……

釈迦三尊像十大弟子十六羅漢が囲み、背後に491基の羅漢像が並ぶ。

37cm前後の羅漢像はそれぞれ表情が異なる。石工が50年という歳月をかけて完成したといわれている供養の石仏群。火元だった大円寺は以後76年間も再建を許されなかったらしいが、この石仏群を完成させて許されたのかもしれない。
 ちなみに「行人坂の火事」は「振袖火事(1657年)」「車町の火事(1806年)」と並んで江戸三大火のひとつだと。火事にも充分気を付けたい。

「本堂」……天台宗の寺院。こちらに「大黒天」が祭られていると思われる。江戸城裏鬼門の鎮守。

薬師如来」……寺務所で求めた金箔を貼ります。体の気になる個所と同じ場所に願いを込めて貼り、真言『おん。ころころ。せんだり。まとうぎ。そわか。』を唱えるそうな。連れ合いと母が貼ったのは去年だったかしら。

阿弥陀堂」……阿弥三尊や七地蔵の木彫りが安置されているそうだ。

現代風?「道祖神」……道端の守り神にしてはものすごく優しい。

こちらも愛らしい「六地蔵」……境内には、その都度 [浄財ポスト]が置かれた多くの石像がおられたが、小銭が切れてしまい全てには入れられなかったみたいだ。今は準備万端で大丈夫だが、長距離散歩はできない。

「観世音菩薩」……人々の苦しみや悩みの声を聞いて下さる観音様。
この日は、ご葬儀はなかったみたい。

「みがわり地蔵尊」……お賽銭が切れたから、手だけ合わせたのだろう。

江戸時代の「庚申塔」3基……いずれも立派な出来だ。

さすが大黒天を祭った寺だけに「大きな浄財入れだな~」と感心したのだが、実はゴミ箱であった。投げ入れなくて良かったが、どう見ても賽銭箱だよね~

山門の内側で小坊主さんがお見送り……誰が乗せたか、ドングリ一つ。
と言うことで山手七福神をようやく制覇した私でありました。

【おまけ】

同日「油面子育て地蔵」にも手を合わせてきた。
 現在は油面地蔵通り商店街の中ほどにおいでだが、かつては現油面交番の向かいにあり、台石の左右に「是より左九ほんぶつ」「是より右ゆうてん寺」の文字が刻まれていて道標だったと。ちなみに、目黒通りの前身は「下野毛道」と言ったそうだ。

今日の「My First JUGEM」は……『楽しみなステーキ……』