足跡(寺社)43・松秀寺・立行寺……2019.1.13

歯医者に行った2019年1月13日……以前勤めていた会社の近くだから、知ってはいたがしげしげと眺めたことがないので帰りに歩いてみた。

「松秀寺」山門(港区白金2-3-5)……冬嶺山本寿院の号をもつ時宗の寺院。嘉元年間(1303~1306年)に佛頂山常光寺として創建され、宝暦2年(1752年)に当地へ移転した後に現寺号に改称したようだ。
 門前に「日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)」の石碑がある。「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩だが、ウィキペディアに『安土桃山時代蘆名盛氏へのある夜の夢のお告げで黒川城の堀から見つかったとされる3体の地蔵菩薩像を日限地蔵として祀った西光寺(会津若松市)をきっかけとし松秀寺(東京都港区)から全国へひろがった。』の記述があった。同寺から広まったのか……

山門を少し入ると「宗祖一遍上人像」……当時の楽天日記にも書いていなかったが、思い起こすと、その後も「一遍上人・延応元年(1239年)~正応2年(1289年)」について触れた記憶がない。おそらく時宗寺院が少なく、さほど訪問しなかったからだろう。
「念仏をとなえることで極楽浄土へ往生する」と説き、全国を行脚して「南無阿弥陀仏」と声を出してとなえることを人々に勧めた(念仏勧進)のが一遍上人。ちなみに、僧が布教や修行のために各地を巡り歩くことを「遊行(ゆぎょう)」と言う。南無阿弥陀仏……

松秀寺山門を出て角を曲がると、ピンクがとても目を惹く「立行寺」山門……「法華宗」とあるが同寺の流派は「陣門流」のようだ。同宗には「真門流」を始め、いくつかの派があるが、多くは日蓮を高祖としている。南無妙法蓮華経(港区白金2-2-6)

山門扁額「智光山」……私にも何となく読めた。

「立行寺本堂」……大久保彦左衛門が開基して1600年代初期に麻布六本木に創建され、寛文8年(1668年)当地に移転したらしい。

「鐘楼」……「良い音がするんだろうな~」と眺めた。

大きい石碑には『大久保彦左衛門忠教頌徳碑』と彫られていて、左の小さいのには『一心太助』とあった。

本堂の南側に広がる墓地の一角に……

「大久保彦左衛門之墓」……立派な屋根つきのお堂。

「大久保講」……奉納された方々なのだろうが、上段右側の左端に「〇囲みに質・八幡屋」とある。質屋は儲かっていたのだろうか。

堂内には大小さまざまなお墓が並んでいたが……

中央にあるひときわ目立つ、屋根のついた立派なのが大久保彦左衛門のお墓だと。石碑にあった「忠教(ただたか)」が本名だと改めて思いだす、歴史音痴な私だが、彼の開基による同寺の通称は「大久保寺」とのこと。あまりウロウロしなかったから見過ごしたのだろうが、前の写真の右端に「一心太助」の墓もうかがえた。架空の人物のお墓ってのはちょっと合点がいかないが、大久保彦左衛門には付き者なのだろう。

静かな境内……私の行くところ他人なしだった。

お腹も空いていたし、バス通りに出たら救急車が向かい合って停まっていた。ごくろうさま、そしてお大事にと呟いた。

今日の「My First JUGEM」は……『またしても無駄遣い……』