足跡(寺社)50・砧公園を抜けて無量寺……2019.1.24

2018.11.20に訪問した岡本八幡ユーミン燈籠を撮り忘れたので再び出かけ、ついでに静嘉堂緑地にも立ち寄った2019年1月24日のこと……

本八幡北参道を出て、少しウロウロしたら発見……矢印を見て「こっちへ行けば砧公園か」と向かうことに……

常に狸の案内があるわけではないので、あるところで「ちょっと方向が違うかしら?」と思い、右折したら「稲荷社」だろう。とんかつ屋さんの脇にあった。モーニングは食べたが、13時15分でお腹は空いていた。豚カツ食べたかったが、お腹が痛くなると困るので我慢した。

谷戸川方向から上ってきて振り返るが、岡本は坂が多い。

砧公園の南側にそって走る東名高速の前で右を見たら……一方通の道を半円を描いて、面倒くさそうに車がやってくる。直線にすれば良いのにと思い調べたら「岡本第六天社跡」とのこと。かつては御神体と神木があった場所らしい。言い伝えに従って江戸幕府も切れなかった神木だけが保護され続けたようだが、現在ご神体は岡本八幡神社の境内に移されているとのこと。

折角なので公園内もブラブラした。最後に行ったのは50数年ほど昔……作った翼長100cmほどのグライダーをここで飛ばした。真っすぐに飛ぶか?軽く試して、思い切りの2投目(じかに投げるわけではなく、数メートルの紐で引っ張り上げる)、見事に飛び過ぎて写真正面の森にツッコミ、見事に翼が折れた。一度きりで残念だったが飛んだから良しとした思い出……懐かしかった。

園内はちらほら梅が咲きだしていた。

公園から用賀駅まではこんな路になっている。「用賀プロムナード」計画の一部で「いらかの道」と呼ぶらしい。

13時58分……用賀駅近くで見かけた。本当にお腹が空いていたから、ワンタン麺が食べたくて暖簾の隙間から覗いたらカウンターは満席だった。水分補給もしていなかったし、用賀からバスがあると聞いていたので「乗ろうか?」と頭をよぎったが、頑張ってもう少し歩いてみることにした元気だったころの私。

バスを使わず徒歩を選択して歩きだすと、街の喧騒をかき消すように「無量寺山門」(世田谷区用賀4-20-1)が現れた。山門扁額には「祟鎮山」とある。

山門の前には幾つもの地蔵尊が置かれていたが、この界わいの宅地造成の際などに移転されたものが中心らしい。

「十一面観世音菩薩」と彫られているが、同寺の通称は「用賀観音」と呼ばれるそうだ。

左のお地蔵さん……こちらが一番大きかったかしら……

山門右のお地蔵さん……天明8年(1788年)にしては可愛らしいご尊顔だ。台座に「三界萬霊」とあり、右の石碑には「馬頭観音」と彫られていた。

山門をくぐると右に……思わず手を合わせて南無阿弥陀仏と呟く。

境内に進むと、中央にものすごく大きなイチョウの木……保存樹木であっても不思議ではないのだが、この時はプレートはなかったのだが……
【附けたり】2022年11月9日の写真

代参に訪問したこの日には、ようやくプレートが出来ていた。

浄土宗寺院の無量寺の本堂……新編武蔵国風土記稿に開山は光蓮社明誉寿広和尚(文禄3年1594年寂)とあるそうだ。また、芝の西応寺の末寺と境内の世田谷区教委看板にあった。

本堂の左に「観音堂」……『天正年間(1573~1592年)に品川の浜で漁師の網に揚げられ、用賀の住人高橋六衛門尉直住が観音様のお告げにより当寺に納めたものと言い伝えられている観音像が安置されおり、12年に1回牛の年に御開帳が行われる。』
 頭の片隅にはあったが、前回はコロナ禍だったから「無理だろう」と勝手に推測して無視していたが、次回ご開帳は10年後だ。拝見できるよう元気でいなければ……連れ合いに叱られる。

寺務所・庫裏……ピンクの梅が目に付いた。

手水舎の脇に境内社……

境内の片隅に「草木供養之碑」……立派なイチョウを始め、境内には多くの草木が配置されていた。
 快適さと利便性を求める都市開発により失われていく草木……地球温暖化へと繋がって行くことへのアンチテーゼに思える。

石造りの境内社……

山門から本堂へは真っ直ぐな参道ではない。大イチョウを回り込むようになるのだが、現在の山門はかつての位置とは異なるのかもしれない。区画整理の影響だったのだろうか。
この後、珈琲豆買出しの際にもお寄りしている無量寺だ。
今日の「My First JUGEM」は……『色付き始めた万両……』