足跡(寺社)53・永安寺から富士見坂……2019.1.30

坂歩きで出かけた2019年1月30日だが、氷川神社境内にあった説明書に『…もと大蔵町の永安寺が別当…』とあったので「近くに寺があるはず」と探してみた暇な私……

「永安寺」門前(世田谷区大蔵6-4-1)……桜の時期には山門に色を添えてくれるはずだ。

山門前に石仏が並んでいた。

向かって左の石仏たち。

右手には馬頭観音や明治33年(1900年)の石橋供養塔が建っていた。あちこちで見受けられる同供養塔は、人や牛馬に踏まれながら両岸の行き来を支えている石橋に宿る魂を供養し、安全を祈願するためのものだろう。推測だが、他の石像を含めてあちこちにあったものが、こちらに移されたと思われる。

世田谷百景に選ばれている大イチョウ……おそらく今日この頃はイチョウの葉が降り積もった境内を拝見できるかもしれない。

風格ある「本堂」……現在は天台宗寺院「龍華山長壽院永安寺」だが、室町時代鎌倉幕府を開いた初代鎌倉公方足利基氏公の子(二代鎌倉公方・氏満)が没したのち、その菩提寺として応永5年(1398年)鎌倉に臨済宗寺院として建立された。その後様々あったのだろう、延徳2年(1490年)に現在地に再興され、天正年間(1573~1592年)に天台宗に改められたそうだ。蛇足ながら、当初の院号長春院」は、改宗時に「長寿院」に代わったとされる。本尊は千手観音とのこと……

本堂扁額……「怖くない」のか「怖れない」のか……

本堂右に寺務所……何処の寺院も手入れが行き届いていて気持ちが良い。

墓地の入り口にお並びの六地蔵……当時のコンパクトデジカメは画質が悪かった。

境内左側に「不動堂」……不動明王が安置されているのだろう。

不動堂の左に「開山堂長春殿」……扁額は2つかかっていた。
 右側の「長春殿」は鎌倉に建立された時の院号長春院」にちなんだもので、ご本尊・十一面観世音菩薩が祀られているようだ。江戸時代には観音堂があったが場所だが、何らかの事情でその後は梅林にされていたのを、開山六百年、再興五百年記念事業として新たに建立したとのこと。
 左側の「開山堂」は仏事に利用されているようだ。長春殿にも大広間があるようなので、都度使い分けているのだろう。

六地蔵前から境内を眺め、坂歩きに出発……

仙川に架かる水神橋まで戻り……

上流(北)を見ると、東名高速とその先は大蔵運動公園。次の橋「西谷戸橋(にしやとばし)」まで行って右(東北東)に目をやると……

立ちはだかる壁のような坂道に圧倒される。

岡本3丁目35と36との間の長い長い坂道。無名坂と同様に車道わきに階段があるが、この階段、段差がごくごく浅くて歩きにくいかった当時の私だが、今ならありがたいだろう。

上れども上れどもなかなか進まない。お母さんと一緒に先に上っていた小さい子どもに「もうちょっとだから頑張れ」と心で呟いたが、日常的に利用されている方々は大変だ。

あとわずかの所で階段をやめて車道を歩いてみたが、しんどいしんどい……息がはぁーはぁー息切れ。ニコチンも切れていたはず。

坂上から先の景色……次の信号から谷戸川の四之橋に向かって下っていく。

坂上からの眺め……普段の歩行では使わない足の筋肉がイヤイヤをしていたが、坂道歩きが目的だったから、やはり往復しなければと頑張って下った。

関東の富士見100景らしいが、どこにでも「富士見坂」はあるものだ。

少しだけ下ったところの開けた場所から眺めてみたが、富士山は臨めなかった。まったく気付かなかったが、鉄塔が写っている。方角的に見て世田谷区宇奈根2丁目あたりだが、煉瓦基礎の鉄塔があるみたいだ。鉄塔歩きの続きもしなければならないな~

今日の「My First JUGEM」は……『里芋食べた……』