足跡(寺社)8・清正公 覚林寺・2017.3.19……

目黒不動尊で山手七福神を知り、妙円寺と瑞聖寺は訪問したから、歯医者に行ったついでに毘沙門天の「覚林寺」に寄った2017年3月19日……

清正公前交差点、目黒通り入り口の脇に……

幾度も見かけたチャンポン屋台・新勝楼……入店したことはないが、ひょっとしたら現在はないかもしれない。

そのわきに「清正公大神儀碑」……1751年の建立

「最正山 覚林寺山門」……1631年に日延上人が開山した日蓮宗の寺院で、加藤清正の位牌が置かれたので「白金の清正公さま」として親しまれている。武運の強かった清正公にあやかり「勝負に勝つ」という意味を込めて、5月4~5日の清正公大祭には葉菖蒲の入った「勝守」が頒布されるそうだ。

山門の正面だから、本堂と思っていたが「清正公堂」……掲げられた「破魔軍」の扁額は戦国武将にお似合いだ。

なぜか、こんなのも撮っていた。

境内中央に鎮座するのは、水かけ地蔵かと思っていたが「浄行菩薩」のようだ。

こちらが「本堂」……南無妙法蓮華経

左が「毘沙門堂」で右が「稲荷堂」だが、毘沙門天をのぞいた記憶がない。そして、お寺にも狐が居てお稲荷様が祭られているのを不思議に思ったど素人の頃だった。

片隅に「百度石」を発見……

「無縁塚」に手を合わせて失礼しました。
ちなみに、この辺りは肥後藩主となった細川家の中屋敷だったと……

【附けたり・以下2022年2月2日撮影】

覚林寺から東に直線距離で300mほどの場所に「大石良雄外十六人忠烈の跡」……

元禄14年(1701年)の江戸城松之廊下の刃傷事件に端を発し、吉良邸に討ち入った赤穂浪士17人がお預けとなった熊本藩細川越中守の下屋敷跡。

『正義を愛し名節を重んずる者は暫くここに歩みを停めよ』……合掌一礼

さらに北へ200m程の場所にも細川家の下屋敷の名残がある。道路側上部の東に向かって張り出す太い枝はスッパリ切られているが、枝張6.7mは充分推察できる「スダジイ」の巨木だ。

幹囲り8.31m……下部にあった大きな空洞は、昭和56年(1981年)に大規模な外科手術を施したと。このあたり一帯が肥後熊本藩細川家の下屋敷だったのだが、とにかく広大な土地を有していた。

今日の「My First JUGEM」は……『仲良くお休み……』