暑い夏の間、すっかりさぼっていたので足腰強化のために出かけた。とりあえずの目的を2軒の模型店訪問として出発したが、歩行距離を稼ぐために少々遠回りをしたらしい2019年9月26日のこと……
予定していた場所はもっと東なのにボーっと歩いていたらこんな所(桜新町駅)に出てしまった。遠回りは承知の上だったが……
旧大山道を東に200m程、同年1月に訪問済みの桜神宮にご挨拶して……
さらに200m程先に鳥居発見……(つい先日見たドラマの1シーンにこの場所が使われていた。知っている場所が写るとなぜか嬉しくなる。)
「久富稲荷神社」参道口……近隣住民の生活道路を兼ねた長い参道が特徴的だ。目的ではなかったが、見てしまったので訪問してみることにしたのだが、結果的に入り口から南に260mほどの長い参道だった。
例大祭には、ここに露店がならぶことを想像すると子供ではないのにウキウキする。朱色の奉納鳥居は3基あった。
ちゃんと扁額もついていた。
ふり返るとこんな感じで、わずかに湾曲している参道だが、江戸時代からずっと存在し続けている。
長い参道を進むと石鳥居の先に境内が顔を出す。大正12年(1923年)建立の鳥居。
境内に踏み込むと想像以上の立派な社殿があった。3年をかけての社殿造営が完成した昭和6年(1931年)11月22日に行われた一週間におよぶ遷座祭りは盛大だったと。
社殿左側は社務所と神楽殿……バーベキューができそうな境内だ。
久富稲荷神社社殿……正確な資料は現存していないらしいが、伏見稲荷大社より御霊を賜りこの地に鎮座して四百有余年というから、江戸時代から当地周辺の鎮守社だった。社殿前のお狐さまは、耳、目、口に色が塗られた珍しいものだ。(世田谷区新町2-17-1)
戦火を免れて現存しているのが、御祭神『宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)』『大宮女命(おおみやめのみこと)』『猿田彦神(さるたひこのみこと)』が守ってくれたのだろう。
社殿正面に……
手水舎……コロナ禍前だったから柄杓も置かれていた。
フクロウ……同社HPに『昭和の中頃、当神社の境内にあった古木にふくろうが住みついていました。夜になると暗い境内にふくろうの声が聞こえましたが、姿を確認する事はなかなかできませんでした。
参拝の際にふくろうの姿や鳴き声を聞くと「願いが叶った」という噂がありました。そんなご縁からふくろうのお社を造り、お祀りしました。』とあった。
脇に素敵なオブジェがあった。
フクロウは知恵袋で学問の神様というのは有名だが……
『「不苦労」と書いて苦労知らず』とは上手いことを言うものだ。
戦没者の慰霊碑だろうか……手だけ合わせてきた。
歩いてきた参道とは反対側……立っている私の後方40mほどに現在は246(玉川通り)が走っている。江戸時代には存在しなかったから、参拝者はみな大山道からの表参道を歩いてきたはずだ。
鳥居の扁額……こんなのも撮っておく暇人だが、落ちてきたら怪我をする。
地元で愛され続ける氏神様は良い風情だった。寄り道して良かった。
蛇足ながら画像が悪い。新しいスマホにしたのに古いコンパクトデジカメで撮ったようだ。なんでだろう……
今日の「My First JUGEM」は……『雪降った……』