渋谷から恵比寿あたりへ向かってブラブラした2020年9月22日のこと……日記をひも解くと、朝は茹卵とセブンイレブンのトンカツサンドを食べたが、なんと20日から23日までの4日間は全く同じモーニングだった。よく飽きなかったと感心するが、とりあえずお腹に入れば私は平気だ。
六本木通りに面して、渋谷警察署の近くにDUCATI発見。パイプフレームがなぜか斬新に思えた私。
少し先を右折……渋谷区を歩くのは久々だった。
当日最初の訪問先「渋谷山東福寺」(渋谷区渋谷3-5-8)……提灯には菊に三ツ星、天台宗の紋章「三諦章(さんたいしょう)」が入っている。手前の標柱には「渋谷区重宝 東福寺梵鐘」と記されていた。
山門を入ってすぐ右に本堂へ続く参道……
左にも敷石があるが、後で……
彼岸花……こんなことしているからちっとも進まないのがいつもの私だった。
東福寺本堂……源義家が隣の「金王八幡宮」を創建する際に「親王院」として創建された。開創は承安3年(1173年)のようだが、建仁2年(1202年)に「渋谷山常照院円照寺」と改めたとのこと。いずれにしても明治維新の神仏分離まで、隣接する金王八幡宮の別当寺であったが、渋谷区内最古のお寺で、空襲を逃れ現在に至っていると。
御本尊は阿弥陀如来とのことだが「木造薬師如来坐像」「銅造菩薩立像」「木造不動明王立像」など、区指定文化財が安置されているようだ。
東京三十三観音霊場第8番札所でもある。東京三十三観音霊場は縁遠いが、訪問したのは「海晏寺(南品川)」「観音寺(大崎)」「瀧泉寺(下目黒)」「魚籃寺(港区三田)」「豪徳寺(豪徳寺)」と「教学院(太子堂)」ぐらいだったかもしれない。
本堂前左に……右は合掌地蔵尊かしら。私も合掌。左の馬頭観音石碑には観音様らしきが描かれていた。奥の壁に沿って並ぶのは歴代住職の墓石と勝手に思っている。
本堂前右には「栄範地蔵尊」「栄傅地蔵尊」……正面から撮った写真がボケていたので使えず識別不能だが、両尊ともに左足を立てていた。珍しいがお二方とも歴代住職のようだ。
亀の石碑とお地蔵様……以前は山門の近くにあったらしい。
亀は辛そうだった。ファイティーン!
お地蔵様の台座には三猿……庚申塔なのだろうか。
チシャノキ……大きなコブが出来ていた。あまり聞かない名前の木だが、枝先に白い小さな花をたくさんつけるらしい。確か保存樹になっていたはず。
本堂前から……秋のお彼岸真っ只中だったので、ちらほらお墓参りの人がおいでだった。失敗したと思ったが時すでに遅し。氷川神社訪問が第一候補だったため、墓参は頭になかったウッカリ者だ。
参道脇には水路があって……
鯉も泳いでいた。
引き返す参道の右奥に鐘楼堂……土台が新しいが、以前はこの場所より手前・参道近くにあったとのこと。ちなみに後方はこの後お邪魔した金王八幡宮の境内だが、この位置関係はさすが別当寺だ。
東福寺梵鐘……世田谷区有形文化財
『宝永元年(1704年)の銘があるこの梵鐘には、金王八幡宮の縁起など渋谷の歴史が刻まれています。後冷泉帝(ごれいぜんてい)のとき、渋谷の旧号谷盛(やもり)の庄は親王院の地にして七郷に分る、渋谷郷はその一なりとみえるので、渋谷の旧地名を谷盛庄と呼んでいたことがわかるのです。なお、享保20年(1735年)に版行された「江戸砂子」には、渋谷・代々木・赤坂・飯倉・麻布・一木(ひとつぎ)・今井を谷盛七郷と呼ぶ、と書かれてあります……(渋谷区教委説明書きより)』
※「後冷泉帝」とは、第70代天皇のこと。時は、平安時代。
※「江戸砂子(えどすなご)」とは、江戸時代中期・享保17年(1732年)に刊行され江戸の名跡誌らしい。
梵鐘の脇にお堂が二つ……奥には「宇田川地蔵」が納められている。
宇田川橋がどこにあったか分からないが、当地から渋谷駅を越えて北西の西武百貨店近くにあったと推察する。
奥のお堂には3像置かれていたようだが、網がかかっていて撮り切れなかった。写真は昭和37年(1962年)11月造立の地蔵尊。この右に宇田川橋のたもとにあった、元禄元年(1688年)造立の地蔵尊がおいでだったようす。頭の赤い頭巾だけ写っていた。
二つのお堂の間に庚申塔三基……手前は台座だけのようで、悲しいかな他も破損や劣化が進んでいた。屋根付けて欲しいな。
手前のお堂には「塩かけ地蔵」……まったく原形をとどめない後方のも地蔵尊らしい。塩のかけ過ぎで溶けたのかは不明だが同寺以外にもおいでだ。持ち帰った塩でイボがとれたとか、歯痛や風邪にも効くとかご利益があるという。信じる者は救われる……
と言うことで渋谷山東福寺を失礼した。
蛇足ながら、当時楽天ブログに同寺を書いた日(2020.10.07)の朝刊には京都の東福寺が紹介されてたと記してあった。『奈良における最大の寺院・東大寺と最も盛大を極めた興福寺になぞらえて「東」と「福」の字を取り、京都最大の大伽藍(がらん)を造営した慧日(えにち)山東福寺……「そうだ京都行こう!」のかつてのキャッチコピー『600年前、桜を全部切り取りました。春より秋を選んだお寺です』の通り、これから真っ赤な紅葉が見ごろです。コロナじゃなければ行くんだけどな~』と付け足されていた。
現在もインフルエンザや新型コロナが流行っているようだ。罹患しないように充分留意しよう。
今日の「My First JUGEM」は……『食欲ない……』