当時半分以上訪れていた世田谷三十三ヶ所観音霊場の全寺訪問制覇を目指すべく、とりあえず近場の未訪問二ヵ寺を訪ねた2020年6月15日のこと……(今日現在は、経堂、桜上水、赤堤にある三ヵ寺を残すに至っているが完全制覇は遠そうだ)
龍雲寺通りを歩くと「西澄寺」バス停前に……
昭和26年の寺号碑に「日輪山 西澄寺」とある。院号は薬王院で、左の石柱には「都重宝 武家屋敷門」と彫られている。(世田谷区下馬2-11-6)
ゆるやかに上って行くこの参道の景色も好きで、散歩のたびに幾度も寄り道をした。
先日も代参に訪問したばかりだ。
「弘法大師」……石碑の側面に「玉川八十八ヶ所霊場第52番札所」とあり、真言宗智山派の寺院だが「世田谷三十三ヶ所霊場16番札所」にも名を連ねている。
左の小さいのには「馬頭観世音」と彫られている。なぜ松ぼっくりが乗っているのか?
両脇の墓地を貫く参道の正面に「武家屋敷門」が待っている。
現在の港区芝5丁目にあった阿波徳島藩主蜂須賀家の中屋敷門を大正末期頃に移築したが、江戸時代末期の建築物とのこと。
両番所附石垣出屋根庇造と呼ばれる構造らしく、端に出っ張ってる格子窓のあるのが番所で六畳もあると。私の作業場兼寝床と同じ広さだ。
中央の両開き戸とは別に片開きの潜り戸がある。刀を差した武士が出てきそうだが、25万石の大大名・蜂須賀家にふさわしい門だったのだろう。
二間の両開き戸から臨む本堂……柱が太い。
時節柄、植木屋さんが作業されていたので邪魔をしないように留意したことは記憶にある。
山門となっている重厚な武家屋敷門をくぐって、すぐ左に「納骨堂」……たぶん。
右の歌碑には「大空の日も 静やかに西澄寺 佛尊まつるきよらかに」と彫られていた。
明治25年(1892年)に荒廃して無住職だった同寺に高野山から駆け付けて復興させた第10世住職「三田村慧壮和尚」の像(昭和29年造立)と、薬師如来が安置されている「薬師堂」。日光菩薩と月光菩薩らしき脇侍のお姿も覗き見ることができた。
参道右側に鐘楼がある。吊るされている梵鐘(ぼんしょう)は第2次世界大戦で供出されたが戻ってきたとのこと。仏の御加護でしょうが、戦争はいけない。
前には4基の地蔵尊がおられたが、私は右側を地蔵菩薩三尊と勝手に思っている。その三尊の一番左の台座には「六十六部供養佛」とあった。六十六部は初耳だったが、日本全国の66か国を巡礼し、それぞれの霊場に写経した法華経を1部ずつ納める修行者のこととされる。66部を写すことも大変だが、歩くのは至難の業だろう。台座脇には明和9年(1772年)の文字が読めたが、お疲れさまでした。
西澄寺本堂……降向和尚が紀伊国高野山釈迦院より下錫して天正2年(1574年)に開山されたらしい。
本堂は大正11年(1922年)改築のようだが、武家屋敷門の移築と同時期と推察する。
真言密教だから、本堂扁額は「西澄密寺」とされていた。御本尊・大日如来坐像らしきお姿を遠目で垣間見ることができた。
大正14年(1925年)の奉納額がかけられていた。本堂改築に寄進された方々と推察するが「東京永楽講」とは「異業種交流会」なのだろうか。
本堂前から見た境内……
本堂左手にお稲荷さんが見える。手前の大木は世田谷区名木百選に選ばれている「コウヤマキ(高野槇)」で、隆向和尚が開山の折に高野山より移植したとも伝えられているようだが、だとすると樹齢はゆうに400年を越えている。
正一位稲荷大明神が本堂左に静かに鎮座していた。左手前に「平川稲荷」とあるが、平川さんが勧請したのだろうか。
右側の昭和7年(1932年)の石碑には弘法大師とある。1100年記念が何を指すのか私には分からなかったが、大師像がおいでにならなかったのは少し寂しかった。それでも南無大師遍照金剛……
【附けたり】つい先日10月13日、代参に訪問した折の写真。
いつの間にか、社は新しくなっていた。
奉納年は分からなかったが、苔むしたお狐様……
きっと、まとわりついていた小狐が欠損してしまったのだろう。 修復してあげたいのはやまやまだが……
石碑-稲荷大明神-薬師堂……
小梅だった気がするが、オレンジ色になっていた。
本堂の右から書院・庫裏につながる石橋が架かっている。橋の下は池だが、ウロウロするのは遠慮した。
他所より移築されたようだが、焼夷弾は落ちなかった。二度と戦争がありませんように……
緑に囲まれた広い境内だから、植木屋さんは大変だ。この先に東の門がある。
広い駐車場にポツンと「観世音菩薩」がお立ちだった。千手観音、十一面観音、馬頭観音などなど「観音経」には三十三身が示現する(姿を変えてこの世にあらわれる)と説かれている観世音菩薩。だから観音霊場は三十三所なのだろう。
東の門……車でお越しの方はこちらから……
武家屋敷門から始まり、とてもスケールの大きなお寺だった。合掌一礼……
今日の「My First JUGEM」は……『散りだしたキンモクセイ……』