足跡(寺社)126・武家屋敷門・蓮光院……2020.1.14

なぜか思い立って新田神社を皮切りにブラブラした2020年1月14日のこと……

矢口から多摩堤通りを歩き、住所が下丸子になったところでこの道路表示……多摩堤通りが直角に折れ曲がっていたとは知らなかった。

交差点から右方向に多摩堤通りの並木道……この道を辿って行けば多摩川上流方面へ行かれるが、環八あたりで左にそれる表示を見逃すととんでもないことになる。

ガス橋にも惹かれたが、私は前の写真を左に、こんな道を歩く……

三差路・五差路や変則な十字路もしごくあたりまえの大田区住宅街に、何やらそれっぽい……

武家屋敷門」……東京都指定有形文化財(昭和39年4月28日指定)

残念ながら柵でシャットアウト……写真左の出格子窓から、番人が顔を出したのだろう。

『もともと池田山にあった岡山池田家の大名屋敷の門であったと伝わります。池田山から大田区馬込町に移築し、さらに昭和10年(1935年)頃「蓮光院(れんこういん)」の山門として現在地に移築されました。(都教委)』
 都教委の解説には蓮光院に関することは何もない。なぜ同寺に移築されたのか? 勝手な推測をすれば、池田藩の菩提寺だったのかもしれない。重厚で格式の高い屋敷門の木材は欅(けやき)。

「壽福山蓮光院円満寺」と号す真言宗智山派の寺院。詳細ははっきりしないが、天正2年(1574年)に中興開山され、玉川八十八ヶ所霊場第五十九番札所だった。本尊は大日如来らしい。立入禁止のようだから、ここから南無大師遍照金剛……

どこからか入場できないかと、脇の路を歩き……

振り返ると、本堂は前堂と後堂の二つからなっていた。

さらに屋敷門と反対側から本堂裏側……

北側の道を進んだところに「方丈(ほうじょう)」と書かれた門があった。庫裏への勝手門だろうと思ったが、墓参りでも御朱印を賜るわけでもないのでスルーした小心者の私だった。

でもって結局一周してしまった。1ブロックすべてが蓮光院敷地だった。「世田谷代官屋敷」や、無名坂を歩いた折に見かけた「武家屋敷門」の門など、あちらこちらで見かけるが維持管理は大変だ。費用もかかるが、できうる限りの保存を願いたい。

今日の「My First JUGEM」は……『食べごろかもしれない……』