足跡(寺社)161・出世稲荷神社・善照寺……2020.2.23

南馬込あたりの寺社をぶらぶらした2020年2月23日のこと……

円乗院前のゆるい坂を下ったところ。「喫煙可」のステッカーがありがたい。入り口右の赤提灯脇にぶら下がっている尻尾は、鮪かはたまた鮫か。おばちゃんが営んでいるお店かもしれないと勝手に決め込む私だが、昼は定食で夜は居酒屋。この写真を撮った20日後(3月13日)には、新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言が成立した。飲食店も苦しむことになった。

でもって、音羽屋の程近くに……

鳥居と児童遊園……私にとって、神社と公園の併設はあたりまえになった。

神社の右脇は「おいはぎ坂」……上ると熊谷恒子記念館の裏になる。

出世稲荷神社」(大田区南馬込4-9-15)……背が高く くねった松が印象的だった。

鳥居の扁額……

「社殿」……地井武男さんが立ち寄って、立派な松の木を鑑賞したらしい。社殿脇のこの幹だろう。2012年2月17日に放送されたようだから、亡くなる少し前のこと。改めてご冥福をお祈り申し上げます。
社殿後方は次に訪問した善照寺。

社殿が北向きに建てられているので「北向稲荷神社」とも呼ばれているらしい。確かに真北を向いていた。

創建時期は不明だが、この地域の旧家の守護神として祀られたのだろう。改修されてもこのような彫り物は残されている。

併設の「ひばり児童遊園」……14時7分 誰も遊んでいなかった。

ベビーカーは石段登れないし、子どもたちはブランコより家でゲームなのだろう。

神社を後にして「馬込桜並木通り」の出発点の交差点……桜並木は左に延びていく。

桜並木通りに出るとすぐ「善照寺」(大田区南馬込4-9-11)……「浄土真宗本願寺派」とは西本願寺を本山としていると知ったが、『東本願寺を本山とする大谷派との違いが何かまでは知りません。連れ合いが教えてくれるでしょう。』と当時の日記に書かれていた。現在もさほど詳しくはないが、当時は駆け出しだった。

石段を上ると「親鸞聖人像」……檀信徒の方々からの提言により昭和60年(1985年)に建てられたようだが、山門の高台から道ゆく私たちを見守ってくれている。
「これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、名づけて極楽という」……この阿弥陀経から「西方浄土」なんて言葉ができているのだろう。

「興正山善照寺本堂」……
 大正6年(年)春、初代住職岡﨑諦誠師によって大森の地に開教したが、関東大震災、太平洋戦争により2度の焼失にあい、戦後、馬込墓地隣接地に仮本堂を再建し現在に至ったと。同寺HPに『当時の資料によれば「戦後復興の真っただ中、資材不足の折、ご門徒(檀信徒)からの寄進等で本堂、庫裏を建立しました。またガス、水道もない中、徒歩で羽田・大森方面から法座に参られるご門徒の姿を大きな励みとして、再出発することが出来ました」との記載があります。』とあった。地震は防ぎようがないが、戦争だけは起こさない、巻き込まれないことを願う。
 本堂の屋根の上に見えているのは、後方の稲荷神社の松の木だろう。

撮ってはきたが読めなかった。

墓地の入り口の片隅に……南無阿弥陀仏

高台に続く南向きの墓地……

門石の裏に……この地に再建されてからずいぶん経って建てられたようだ。

すぐ近くの「熊谷恒子記念館」も拝見してきた。と言っても入館はしなかったが……左隅に馬込文士村のプレートがある。(いくつ見ただろうか)

今日の「My First JUGEM」は……『鮑のだまし煮風……』