足跡(寺社)157・久が原東部八幡神社……2020.2.15

さほど天気は良くなかったが、鵜の木から久が原経由で池上あたりまで歩いた2020年2月15日のこと……

安詳寺山門を出て、住宅街の中の緩やかな上り坂をすこしだけ南に向かうと……

なんなく出会えた。ちなみに右の建物は消防団だが「田園調布第五分団本部」とある。こんな所まで田園調布の管轄だったのかとビックリした私だった。

神社脇の「宮坂」……わかりやすい。

境内が見えるが正門はこの先にある。

「久が原東部八幡神社」(大田区久が原2-18-4)……宮坂のてっぺんは久が原台地の一番高い所らしい。裏口入社なら上らずに済んだ石段を上がる。

鳥居から社殿迄の奥行きはないが、良い景色だ。創建は天平神護年間(765年)と伝えられ、豊前大分県)の宇佐八幡宮より分霊を勧請。徳川が入国して東側の馬込領、西側の六郷領に二分されて以降、馬込領の鎮守となっている。

鳥居をくぐるとすぐ左に手水舎……コロナが怖かったので当時以降ずっと省略させていただいている。申し訳ないが現在も携行するマイ消毒液でご容赦願っている。

「久が原東部八幡神社社殿」……屋根は昭和53年(1978年)に茅葺屋根から銅板に葺き替えられたそうだが、拝殿自体は文久2年(1862年)竣工のものらしい。戦災に遭わなかったのだろう。本殿・拝殿共に大田区有形文化財に登録されている。御祭神は誉田別命(15代応神天皇
 写真を見て思い出した。拝殿前は柵でしっかり閉じられていたので賽銭箱は遠かった。投げ入れるわけにはいかないので失礼した。コントロールが悪いから外す可能性が大だ。

阿吽一対の狛犬が出迎えてくれる。

いつの頃の奉納かと台座を見たが「明治」の下は全く判読不能だった。

境内道路側に石碑……
 左は「都制記念」昭和18年(1943年)7月1日、東京都制が施行され、それまでの東京府東京市を廃して東京都が設置された。
 右は「創建千百九十年記念」昭和32年(1957年)9月に境内玉垣等の工事を行ったと。今や創建から1259年も経っている。

現在の鳥居は平成16年(2004年)に建立されたのだが、木の根元にあるのは旧鳥居の扁額だろうか。
 木のすぐ後ろに一対の古い石灯籠がしっかりガードされて置かれている。文化九年(1869年)のようだ。

境内敷地は436坪と広大ではないが落ち着いた神社。こちらも徳持神社の兼務社となっている。元別当本光寺は次に訪問した。

社殿後方より……拝殿・幣殿・本殿が連結しての一棟構成。本殿は保護のためなのだろう奇麗に覆い隠されていた。

楽殿と神輿庫の向こうに朱色の鳥居……

創建年代など不明だが「稲荷神社」……二礼二拍手一礼

梅のほころぶ宮坂を下り、本光寺へと向かった私だった。

今日の「My First JUGEM」は……『沈黙できれば良いのだが……』