直前の散歩で歩いた久が原辺りの未訪問寺社へ行ってみようと思ったのだが、久が原から出発すると同じようなルートになる為、鵜木あたりからウロウロした2020年2月15日のこと……
増明院山門のすぐ前にある環八・鵜の木八幡下の交差点を渡るとまたしてもY字路だったが、幸いにも奥の玉垣が目に入った。
神社に到着……別当寺は増明院と容易に想像できるほど近い。
「鵜の木八幡神社」(大田区南久が原2-24-1)……現在の住所は南久が原だが、昔は武州荏原郡鵜の木村。
手水盤には網が被せられていた。新型コロナの感染対策だった。
まだ新しさが残っているが中々に立派な社殿だ。鳥居には平成13年(2001年)9月の文字があったので、おそらくその頃に改築されたのだろう。
下野国佐野(栃木県佐野市)から当地に移り住んだ天明五郎右衛門光虎が、延徳元年(1489年)に一族の守護神として創建したそうだ。鵜の木村の開拓は、この天明一族によってなされたとのこと……
手水舎は使わないようにしてあったのに、社殿の鈴を鳴らす綱は平然と下がっていた。
社殿扁額……正式名称はあくまで「八幡神社」であり、タイトルに「鵜の木」を付けたのは私が他所と区別するため。御祭神は誉田別命。
左の奉納・ビールケースには「天明」さんのお名前が……当地には末裔・子孫がたくさんお住まいなのだろう。
近代型の神楽殿……狛犬は明治24年(1891年)の奉納だった。
梅も咲いていましたっけ……社殿右が社務所
右の街灯脇にあるのは「ムクノキ」……道々橋八幡神社のムクノキ同様に「おおたの名木選」に名を連ねている。
ムクノキの脇に「奨兵義会紀念碑」……明治35年(1902年)8月、旧鵜ノ木村及び旧鵜ノ木山谷から兵役に服す子弟を奨励支援し、その功績を顕彰するために創建されたもの。昭和21年(1946年)第二次世界大戦後の混乱期に境内に埋蔵されたが、50有余年を経過した平成11年(1999年)2月、社殿建替えの際に発掘されたとのこと。日の目を見られて良かった。
奨兵義会紀念碑前から見た境内……盆踊りやるのかな。
庚申塔と稲荷社……奨兵義会紀念碑のすぐ脇だが、境内とは完全に分離されている。通学路のポールが傾いているが不思議だ。一方通行を考えると車がぶつかってもこの方向にはならない。誰が力比べをしたのか……
2基の庚申塔……左は享保5年(1720年)で、右は明和5年(1768年)造立のようだ。
正一位の神階……位がどうであれ「祈りの気持ち」と「感謝の心」は大切にしたいと、最近つくずく思う。
ポンと百万円……太っ腹と思ったが、帯封が付いているから百万円札が百枚で1億円だった。
リライトなのに上手く言葉が出てこない。認知症の上に精神状態も痛んでいるようだ。
今日の「My First JUGEM」は……『風風フー卵とじうどん……』
