足跡(寺社)158・本光寺……2020.2.15

鵜の木からブラブラと久が原を歩いた2020年2月15日のこと……

久が原東部八幡神社から宮坂を下って東側の住宅街に……

東部八幡神社の旧別当寺……見ての通り、道路から少し高い所に山門がある。西に隣接する八幡神社ほどではないが、久が原台地の斜面に位置している。

本光寺山門(大田区久が原2-19-17)」……左の石塔には「高祖大士六百回御忌塔」とある。明治11年1878年)10月の建立と記されているが、日蓮上人の没後600年には4年程早い。なにか訳があるのだろう。いずれにしても南無妙法蓮華経

斜めに生えた松が通せんぼ……なんとも絵になる。

本光寺本堂」……日蓮宗寺院であることは言うまでもないが、慶長2年(1597年) 本門寺12世日惺聖人の弟子・日能聖人によって開創とのこと。

扁額には「法壽山」と山号が示されていいた。

本堂左に「七面堂」……元禄12年(1699年)、紀州徳川家から寄進された七面天女像が安置されている。七面天女とも呼ばれる七面大明神は、日蓮宗系において法華経を守護する女神。総本山・身延山久遠寺の守護神として信仰され、各地の同宗寺院で祀られるようになったようだ。

堂の扁額前にかけられた鰐口(わにぐち)も元禄12年に寄進されたとのことだが、「久が原の七面天」と呼ばれ多くの信仰を集めてきたと。七面堂扁額は黒御影石のようだった。
 お堂の扉に『池上七福神 大黒天は、このお堂に安置してあります』の貼り紙があった。本来祀られていた馬頭観音堂の改修工事中らしきに訪問した折は「養源寺」に祀ってあると貼られていた。養源寺で恵比寿天と同居していたのだが、大黒天は同寺に引っ越されたと言うことだ。現在は七面堂前に、大黒天のお堂が建っている。
 蛇足ながら、池上七福神は昭和56年(1981年)に日蓮聖人七百年遠忌を記念して作られた。

七面堂の正面に……

七面堂改築之碑……「宗祖聖誕七百五十年記念」とあるから昭和47年(1972年)頃に改築されたのだろう。昭和40年(1965年)59歳の若さで池上本門寺第八十世貫首となられた日威聖人の筆は力強い。左側の萬霊供養塔前でも手を合わせた。

「供養碑」……新田義興氏の敗残武士ら十七の首塚が隣地にある因で建立されたらしい。

ちょうど梅が見ごろの時期だったが、ピントがあっていない。

十三ではなく、十五重塔と庫裏……

ちょっとした庭園があって……

池もあって……

鯉がいて……

カエルも遊んでいた。あぁ~春だった。

本光寺を後にして、呑川に架かる「長栄橋」を渡り池上梅園を覗きに行ったのだった。

今日の「My First JUGEM」は……『ありがたい……』