足跡(寺社)155・久が原西部八幡神社……2020.2.15

鵜の木から池上梅園までの寺社をブラブラした2020年2月15日のこと……

白山神社の脇の路を入ると「やきとり大吉」……船橋の大吉にはよくお世話になり懐かしく思ったので撮っておいたのだが、現在は二葉が隣で仮営業をしている。
 蛇足ながら船橋大吉は、従業員が主の指示通りに一串ずつ丁寧に仕込んでいたが、大将は焼きだけは任せなかった。赤梅ハイも美味しかったが、もう30年以上前のことだ。

東急池上線久が原駅から東に延びる商店街「ライラック通り久が原」にお蕎麦屋さん。散歩に行こうと決めていたからか、なぜかモーニングは珈琲農園で早めに済ませたから少々お腹は空いていたのだが、天ぷら蕎麦かなんか頼んでしまうと熱燗も飲んでしまう危険性があったので後ろ髪引かれながら通過した。

久が原三丁目交差点……写真の左方向から歩いて来たのだが、見落とすところだった。ちなみに右に進むと2つ目の信号付近に「久が原出世観音」と古い知り合いのMさんも見てきた「庚申塔」がある。

「久が原三丁目の庚申堂」……注連縄(しめなわ)に垂(しで)がとっても丁寧にさげられていた。

青面金剛や3猿が描かれた二基の庚申塔……左は元禄14年(1701年)で、右は享保20年(1735年)造立のようだ。

庚申塔の近くから脇道に入ると、赤い幟があった。路地を覗いてもそれらしきは目に入らなかったので一度下ってみることに……

下って曲がると公園らしきところに鳥居……

「久が原西部八幡神社」参道入り口(大田区久が原4-2-7)……社号碑には、丁寧に「久が原西部」の文字がある。近隣の「東部」と識別するためだ。

石段を上ると、新旧の燈籠の奥に社殿が待っていた。

参道左側に、神楽殿

社務所はあるが神職の常駐はなく、徳持神社の兼務社。当社の他に「久が原東部八幡神社」「諏訪神社」「東八幡神社」「十寄神社」と、兼務社は全部訪問した。
 右隣の緑のシャッターは神輿庫だろう。その奥も行かれそうだが、道路に赤い幟のあった場所から入って来られたのかもしれない。裏口入社の得意な私にしては珍しかった。

豊前国宇佐八幡宮の分霊を勧請して神護元年(765年)に創建されたらしい。
 徳川が入国して久が原村は「六郷領」と「馬込領」とに二分され、六郷領久が原村の鎮守となったのが当社。馬込領久が原村の鎮守となった「久が原東部八幡神社」へもこのあとお邪魔した。

鉄筋コンクリート造りの社殿だから昭和の時代に建て替えたのだろう。狛犬も当時の奉納と考えられる。

社殿右奥に境内社……

お狐さまがおいでだから「稲荷社」……

八幡神社社殿とは違い、ものすごく雰囲気があった。

手水舎後方の門柱の上に……

社殿前よりも古い狛犬が鎮座していた。先代なのだろうか。

いずこもだが、丁寧に掃除が行き届いた同社だった。

神社と地続きに「久が原西部八幡児童公園」が設けられている。道路をはさんで墓地とお寺が臨める。同社の別当寺だった安詳寺だ。

今日の「My First JUGEM」は……『豚肉を食べた昨日……』