足跡(寺社)233・大井鹿嶋神社……2020.8.31

大井町から大森に向かって東海道線の左右をウロウロした2020年8月31日のこと……

同一敷地にある旧別当寺だった来迎院から池上通りに出ると玉垣が目に入る。

ありました「鹿嶋神社」(品川区大井6-18-36)……「鹿島」ではなく「鹿嶋」が正しいようだ。社号碑に彫られていた。当社の境外末社「九頭龍権現水神社」は直線距離で300mほどだ。

社殿真正面に建つ大正15年(1926年)造立の立派な鳥居が迎えてくれる。同社は「しながわ百景」にも名を連ねている。

鹿嶋神社は、安和2年(969年)に来迎院とともに茨城県鹿嶋神宮より御分霊を勧請して創建され、大井村の総鎮守として親しまれてきた。

参道左の手水舎のずっと先に神楽殿が見えるように、多くの樹木に覆われた広々とした境内だった。もちろん手水舎は使用禁止中。

社殿右前に「鎮座壹千年祭記念碑」がある。鎮座してからちょうど千年目の昭和44年(1969年)に氏子さんによる盛大な式典が執り行われたそうだ。
 現在の社殿は、昭和6年(1931年)に建てられた檜造りだが、文久2年に創建された旧本殿は奥に移築されている。

御祭神である武甕槌之神(たけみかづちのかみ)は、三重県伊勢神宮の神様・天照大御神の命令を受け、島根県出雲大社の神様・大国主命がおさめている国を伊勢神宮の神様の子孫におさめさせるべく派遣される。でもって、見事に任務を遂行したので「勝負の神様」「武道の神様」「商売繁盛の神様」として有名なのだそう。しかし、やりたくない仕事です。

社殿からの景色……昔々、中国や朝鮮の攻撃を防ぐために関東地方から兵が集められた。防人のことだろうが、彼らが鹿嶋神宮で「戦の勝利」や「道中安全」の祈願をして出発したところ、無事に帰れたということで「交通安全」や「旅行安全」の神様としても有名なのだと。『鹿嶋立ち』と言うそうな……

現社殿前から右に社務所……

社殿右奥……写真右、2木目の看板の立っているのは「タブノキ」で、幹周り約2.5m、高さ約18mで推定樹齢は約200年(平成10年3月現在)とのこと。

旧本殿が保存されている覆屋……鳥居もそこそこ古そうだが、年月日を見忘れた。

右に「力石」と、「不老門」と記された石碑が置かれている。
 鹿嶋神社が武道の神様と称される様に、古来より昭和初期まで相撲が奉納されていた。渋谷氷川神社世田谷八幡宮と共に江戸郊外の三大相撲として知られた同社だが、残念ながら現在、同社に土俵は残されていないが力石は奉納相撲を偲ぶ事ができる。
 不老門は中国の洛陽を起源とし、和漢朗詠集に「不老門前日月遅」(不老門の前では月日の経つのもゆっくりだ)と詠われるように不老長寿にご利益があるそうだ。
 蛇足ながら、狛犬天明5年(1785年)の奉納だった。240年あまりも座り続けている。
 アップは載せないが、不老門碑の後方に江戸時代後期の俳人・大野影山という人の句碑『炉の友に めぐり逢いたる さくらかな』があった。俳人でもありながら自ら版元となり、大井村を中心に花見の見所や木版墨摺りの「南浦(なんぽ)桜案内」なんてのを出版されたと。ちなみに、隣の来迎院が所蔵する「南浦桜案内」は区指定文化財のようだ。

文久二年(1862年)に造られたと云う旧本殿が納められているが、手前で守っているのはどなただろう。

旧本殿を囲むように境内にあった天祖神社金刀比羅神社、稲荷神社、三峯神社八幡神社の5社が合祀されていると。見事だと言われる鎌倉彫は、よく見えなかった。

近くに緑の栗……

鳥居の向こうの左が品川区指定天然記念物のタブノキ
(今日は写真を載せないが)現社殿と旧本殿の間の奥には、やはり区指定天然記念物で推定樹齢は約200年と云われる「アカガシ」があった。

境内左・北側に神楽殿がある。

「大井囃子(おおいばやし)」と言うのが継承されていると。
『大井囃子は関東地方で広く行われている祭囃子の一つで、江戸時代から続いている伝統ある江戸祭囃子である。文政3年(1820年)、大井村の豪農倉本彦五郎を発起人として始められたもので、目黒囃子の系統である。
 この囃子の編成の基本は、大太鼓一・調太鼓二・鉦(かね)一・横笛一の五人である。鹿嶋神社で、毎年7月19日の中祭(ちゅうさい)と、10月の第3日曜日に行われる大祭、2月の節分の時などに、当神社や町内御神酒所で演奏され、獅子舞も行われる。
 大井囃子は盛衰はあったが、戦前まで継承されてきた。戦後しばらくの間途絶えていたが、昭和36年(1961年)「大井囃子保存会」が地元有志により結成され、今日に至っている。(品川区教委)』ちなみに、大井囃子は品川区指定無形文化財・民族芸能第一号。
行ってみたいと思いながら、長いコロナ禍が邪魔をして今日まで来てしまった。

楽殿の左に「恵澤潤洽」の碑……5mはありそうなこの碑には、品川用水の歴史が刻まれているがとてもじゃないけど読み切れない。
 台地の多い目黒や品川では、湧水や池のある場所以外に水田が作れず困っていたが、品川用水によって水田開発が進み石高が急増したと。そんな用水も明治以降の都市化による水田廃止によって役割を終え、昭和7年(1932年)管理していた用水組合の廃止にあたってこの記念碑を建てたとのこと。

文字を撮ろうとしたのに、こんなのになってしまった……どうしてだろう?と今も不思議に思っている。

楽殿の前は広々としていた。ここで奉納相撲が行われたのかもしれない。

池上通りを渡って振り返った。横断歩道も信号機もないから素通りだったが、交通量は少なかったから大丈夫。今は危ないかもしれないからやらない。

大井鹿嶋神社の斜め前を歩くと、朱色が目に入ってしまった。

ファミレスの一画に……サラリーマン時代、藍屋は外回仕事の途中で2回ほど入った記憶がある。3回だったかな?

右後方に鹿嶋神社……

からしてファミレスが祀ったとは思えなかったら、江戸と呼称される以前にさかのぼる大井の庄の頃より土地の人々に愛され崇められてきたとのこと。二礼二拍手一礼をしてきた。地元住民の幸福を約し続けることだろう。
 蛇足ながら、古い日記を振り返ると、帰りは西大井から中延あたりを抜ける最短コースを頭に描き、感覚頼りにクネクネと帰宅したようだ。一つ間違えるとえらいことになるが、当時は大丈夫だったらしい。今は無理だろう。

今日の「My First JUGEM」は……『牡蠣で一杯……』