桜の時期には、22年、23年と連続して花見がてら再訪するようになった鵜の木から沼部あたりをちょこっと歩いた2021年3月23日のこと……
残念ながら去年も今年も行かなかった自分の情けなさに呆れるばかりだ。連れ合いと歩くことができるなら頑張って行くのに。
桜坂通りの坂下に「有慶山東光院」(大田区田園調布本町35-8)
玉川八十八ケ所霊場55番札所の真言宗智山派寺院だが、この日は門前の合掌・南無大師遍照金剛で失礼したと当時の日記にあった。境内に桜がなくても、その後は本堂前まで進んだのだが……
多摩川浅間神社に寄るには用水跡を歩けば良いのだが、遠回りになることを承知で桜坂下へ向かうと古そうな石碑。以前は細長い木製の道標が立っていたはずだが、どこから持ってきたのか。あるいは私の思い違いだったのか。
桜橋が架かるゆるやかに上る桜坂は旧中原街道らしい。
前年の訪問時も同じような咲き具合だったようだ。
橋の上から坂下方向……遠くは武蔵小杉。切通しの坂道だが、一生懸命に削ったことだろう。
坂上方向……昔は「沼部の大坂」と呼ばれ、勾配がきつく荷車などの通行は大変だったと。
坂の両側に桜が植えられたのは大正時代らしい。
かつては荷車や旅商人の往来でにぎわい、坂道の両側には腰掛け茶屋などがあったとされる。今は、車を停車させて桜を撮りに降りるドライバーや、下から見上げて撮る女性も少なくない。危険なのだが……
右の石ブロックは「オリンピック東京大会記念 国旗掲揚塔」……昭和39年(1964年)10月10日。『57年目になるんだけど、時の流れは早い。今年は本当にやるのかしら?』と当時の日記に書かれていたが、結局無観客で開催された。すったもんだもたくさんあった。競技の記憶はほとんどないが、ブルーインパルスの飛行姿ははっきり覚えている。あれから4年も経ってしまったのね。
現在の中原街道を越えて、富士見坂を下って多摩川駅方面に……東急多摩川線通過
多摩川浅間神社前……予想通り桜は寂しかったが、別の目的が二つあったので寄ってみた。
2019年12月4日の訪問時に撮り忘れた勝海舟の直筆「食行身録之碑」をパチリ。
食行身録(じきぎょう みろく)とは宗教家でもあり富士講中興の祖だった伊藤伊兵衛と言う人物の行名とのこと。行名とは富士講修行者としての名前で、伊藤食行身録あるいは伊藤食行とも呼んだと。
境内に桜がないことは知りつつも、かつての同社訪問日記に「素敵な絵画も飾られているトイレが新設されました。」とコメントを頂戴したので拝見しに行ったのだが、社殿前で二礼二拍手一礼を済ませるとすっかり忘れていた私。母のことをとやかく言えない。
目的を捨て置いて見晴台へ……
残念ながら、また富士山は臨めなかった。
今日の「My First JUGEM」は……『悲しき救助活動』