足跡(寺社)79・旧東海道品川宿あたりの寺社「妙蓮寺」……2019.3.8

青物横丁から新馬場にかけてブラブラした2019年3月8日のこと……

南馬場商店会の西のはずれに「妙蓮寺山門」……(品川区南品川1-1-1)

山門扁額……山号は「恵日山」と号す顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)系単立の寺院。
 日蓮大聖人を宗祖といただく宗派が林立していた室町時代に、日什大正師(にちじゅうだいしょうし)によって開かれたのが「顕本法華宗」。「法華宗」「日蓮法華宗」などの宗派と区別するために「日什門流」「妙満寺派」を通称としてきたが、教義をより明確に表す「顕本法華宗」に改称されたのは比較的新しく明治31年(1898年)のことだったと。
 宗名の「顕本」とは「開迹顕本(かいしゃくけんぽん)」という法華経の教えを表現した言葉からのもので「ご入滅されたお釈迦さまは、今もなお永遠の命を持ち続け、常に人々に慈悲の心を注いでいらっしゃる」ということらしい。
 空海は、入滅後の今日も高野山「奥之院」で修業を続けておられる。

山門から境内……右の京急と、左の第一京浜に挟まれている。右の高架の向こうには「蓮長寺山」。

「妙蓮寺本堂」……長享元年(1487年)総本山妙満寺11世・日遵上人が創建した。
 昭和35年(1960年)に建設されたコンクリート造りの本堂だが、内部には寛政年間(1789~1801年)に建てられた旧本堂が組み込まれているとのこと。

しながわ百景……プレートはあったが、お墓は本堂裏の墓地だろうからと立ち入らなかったが……

「高木正年先生之像」があった。
 老舗の質商が生家で、南品川宿の宿場総代であった父・細井半兵衛以年(ゆきとし)の三男に生まれた。その後、祖母の実家にあたる高木家の養子となった。
 幼い時から利発で、特に記憶力が抜群だったという正年氏は明治15年(1882年)に25歳で東京都府会議員。明治23年(1890年)には帝国議会開設に伴っての第1回衆議院議員選挙に東京12区から立候補し、定員1名の激戦を制して見事当選。

明治29年(1896年)、40歳にして突然視力を失う。診療を受けるも右目はすでに手遅れ。左目は回復の見込みが立ち入院治療を受けるが、東京湾岸の漁業者達が漁業権問題で病院へ陳情に訪れる。正年氏は治療を中断して解決に奔走し、問題は漁業者の納得する方向に進んだが、ついに両目とも視力を失うこととなった。
 これぞ政治家!!!の鏡 銅像を見た時はメガネが不思議に思えたのだが、納得した。自らの全盲の危機もかえりみず、漁民や品川宿で働く女性たちのために身を粉にして働いた。まさに品川が世に誇れる政治家だ。しながわ百景に選定されて当然だろう。
 秘書や会計責任者の後ろに隠れて罪を逃れ、嘘としか思いようのない説明をする政治家や、「各党と議論する」と繰り返して先送りばかりの首相には、高木正年先生を見習ってもらいたい。

像の足元に置かれていた。像の右わきにあった松が「亀甲松」かは分からないが、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」とある。涅槃経の一節であろう「一切衆生悉有仏性」は耳目に触れる機会がある。この世に命あるものは、すべて仏となる可能性を内にもっているということだが、心を持たない(であろう)草木国土にも仏となる本質が具わっているとの教えには共感する。草や木を人間と同じように心あるものととらえることは好きだ。同じ意味だろう「山川草木悉皆成仏」などもある。

さりげなく石が置かれていたり……

北原白秋……「薔薇二曲」の一曲
 薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。
 ナニゴトノ不思議ナケレド。
 誰も教えてくれずとも、時期が来れば花が咲く。自然の節理・姿と受け取るか、花は非情ではないと考えるか。

「薔薇二曲」の二曲
 薔薇ノ花。
 ナニゴトノ不思議ナケレド。
 照リ極マレバ木ヨリコボルル。
 光リコボルル。
 花ざかりが過ぎれば枝から地にこぼれる薔薇の花。土に帰る末期の光り輝く美しい姿……人としての最期もそうありたいものだ。

ガーデニングがお好きのようで、たくさんの植物を育てておいでだった。人の生き死に、植物の生き死に……「草木国土悉皆成仏」の石碑を置かれた意味が良く分かる。

雨が降ったらだめになるのに、手書きの張り紙をお作りです。
 外にも出よ
 触るるばかりの
 春の月  (中村汀女)
 自分の殻から出てみよう……そんな思いかしら? 

境内を通過して妙蓮寺裏門から失礼したのだが、表門のほぼ向かい側にあった「既成山願行寺」を見過ごしてしまったらしい。

 今一度、旧東海道に戻ったら願行寺に気付いただろうが、第一京浜の反対側に「本光寺」が見えたので渡ってしまった。写真正面は都心方面で京急新馬場駅ホームはすぐ。右側に妙蓮寺斎場「法倫閣」が写っている。
 そうだ、交通量が少なかったから信号も歩道のない場所を「この幅なら大丈夫」と駆け足した私だったが、今は無理だ。

今日の「My First JUGEM」は……『消化不良かもしれない……』