足跡(寺社)72・旧東海道品川宿あたりの寺社「旧仙台坂から海晏寺」……2019.3.8

2018年の10月26日、目黒川沿いを下った時、品川橋のたもとで「東海道品川宿」の看板を目にし、また寺が多いことも知ったので青物横丁を目指した2019年3月8日のこと……

武蔵小山戸越公園脇を抜けて一直線に大井町駅東口にやってきた。初めて訪問した町だが、左の裏側には昭和の雰囲気が漂う飲み屋が肩を寄せ合う「平和小路」と「東小路」飲食店街がある。

鮫洲大山線を東に進み、池上通りを越えるとイチョウが並ぶ「青葉通り」……「通り」とは言うもののものすごく短い。

第一京浜に向かっていく坂の手前……写真の右側は「仙台藩の品川下屋敷」だったと。

「旧仙台坂」……くらやみ坂とも言う。
京浜急行「青物横丁」から第一京浜を300mほど南に下がった南品川三丁目の交差点を右に曲がると、大井町駅方面に向かう仙台坂トンネルがあり、その側道の登り坂が「くらやみ坂」と呼ばれる旧仙台坂です。江戸時代、この坂の南側に仙台藩の品川下屋敷があったことから、この坂は仙台坂と呼ばれていました。しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。』と、仙台市のHPに書かれていた。「拡幅された…その坂の方」とは、おそらく池上通りを指しているのだろう。
『この旧仙台坂を上りきると、下屋敷の裏玄関に植えられていたと言われる樹齢300余年の「仙台坂のタブノキ(品川区指定天然記念物)」が現在でも威風堂々と鎮座しています。』とも書かれていた。この日は見過ごしたので、後に見に行った暇な私だ。

青物横丁方面への下り坂だが、この下を車が走っているとは気づかなかった。

タイミング良く、京浜急行の上下線通過。

坂下から振り返ると、車専用の「仙台坂トンネル」……写真には写っていないが、ちょうど左側に臨済宗寺院「泊船寺」がある。この日は写真に写っている歩道を下ってきたので気付かなかった。反対側を歩けば良かったと後悔したが手遅れ。泊船寺も後に訪問した。

旧仙台坂の坂下、第一京浜の南品川三丁目交差点を左折すると「海晏寺(かいあんじ)」門前……(品川区南品川5-16-22)

「本堂」……建長3年(1251年)北条時頼が、鎌倉 建長寺蘭渓道隆を迎えて開いたと伝えられる。創建当時は臨済宗だったが、戦乱による焼失ののち天正18年(1590年)に曹洞宗の寺として再建されたと。江戸時代には紅葉の名所として有名であり、歌川広重らの浮世絵にも多数描かれているらしい。ちなみに、墓地には岩倉具視松平慶永由利公正など幕末・明治期に活躍した人々の墓所があるとのこと。(墓所は興味のない私)

本堂右手に寺務所・庫裏……

本堂左手に六角形のお堂……「牢光堂」と読めそうな扁額があったが、詳細は不明。

球体の台座には「倶会一処」と彫られていた。

「鐘楼」……

鐘楼の脇にこのプレート……江戸中期の俳人・白井鳥酔(ちょうすい)のお墓があるようだが近くには見当たらない。墓地内だが、しながわ観光協会のHPには「一般拝観はできません」とある。「都旧跡」を知らしめるだけの看板だった。

鐘楼の後方には、多数の石塔や石仏が置かれていた。右端は、参詣者が廻して後生の安楽を願う「後生車」だが、輪っかがない。

大菩薩とは大菩薩峠のことか? 分からなくても何でも撮っていた。

右の石碑には出世弁財天とある。

お釈迦様かしら?

こちらもどなたか存ぜぬがパチリ……

もっとたくさんの石仏がおられたが、砲弾もいくつかあった。

「大震災横死者供養塔」……
 同寺を書いた2019年3月13日の楽天日記には『相次ぐ災害にみまわれているが、復興は進まない。オリンピック施設は急ピッチなのに、被災地の工事は1年も2年も予定より遅れると……どこが復興オリンピックなのか。一日も早く安寧な世になることを願う。』と書いてあった。大阪万博も考えた方が良いと思うのだが……

今日の「My First JUGEM」は……『名残の侘助……』